きよかぜ便り

60の手習いで覚えたパソコンとカメラで楽しんでいます

2014年06月

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2014年6月23日(月)・時間のゆっくりと流れる故郷でも、帰らなければいけない日が来ます。他の荷物は宅急便で送って、早朝の畑で採れた野菜を手提袋に詰めました。今日も秋田駅まで弟夫婦が送ってくれます。母も車に同乗して彼方此方立ち寄りながら秋田駅に向かいました。まず立ち寄ったのは、折渡峠の千躰地蔵尊です。
 
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ここは昔から交通の難所の峠道で、折渡峠に六地蔵があったことから、安永元(1772)年に是山和尚により延命地蔵尊が建立されたそうです。この山の下は羽越線のトンネルになっています。山も道の両側も″マタタビ″の白化した葉で一杯でした。多分、葉の下に白い綺麗な花を咲かせているはずです。
 
 
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折渡地蔵尊大鳥居
 
 
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石の祠の延命地蔵尊と六地蔵尊
 
1772年に地元の名僧・是山和尚により寄進建立された地蔵尊が、大木の御神木の元に祀られています。平成元年から山全体に千躰の地蔵尊が寄進奉納されて、実家のお地蔵様も山頂に安置されています。もちろん私は初めてのお参りりでした。
 
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山道沿いに立ち並ぶ千躰のお地蔵様は、今は取り外されていますが、おそろいの赤い帽子と前垂れ姿だそうです。今は緑の葉影に隠れて目立ちませんが、赤い布をまとった姿は山全体を紅く染めて圧巻だそうです。
 
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急こう配の山道を″これが最後と思うから是非登ってお参りしたい″と、85歳の母も一緒に登りました。鎖に頼らないと登れない個所もあります。途中で手を差し伸べましたが払われました。まだまだ元気で意気盛んな母です。
 
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山頂近くの弟夫婦が寄進奉納したお地蔵様です
 
 
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ずらりと並ぶ千躰地蔵尊
 
 
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峠道からの里の風景です…ヤマボウシの花が咲いています
 
 
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イワガラミ
山道を鎖や道脇の小枝につかまりながら足元を見て登りましたが、ふと白い花色に誘われて目をあげると、何とイワガラミの花が咲いていました。あそこにもここにもと沢山咲いています。″こまち″の車窓からも、木に登るイワガラミを沢山見ていて、写真に撮りたいと思っていましたが、ここに咲いて居てくれて嬉しかったです。
 
 
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モミジイチゴ
 
 
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杉木立の深い谷間は山菜の「ミズ…ウワバミソウ」がびっしり生えています。今は「ミズ」の美味しい時期で、私も実家でお浸しで食べてきました。シャキシャキした歯触りと爽やかな味覚で美味、大好きな山菜の一つです。
 
折渡峠を降りて、羽後亀田駅近くの天鷺城に向かいました。羽後亀田駅の名は、松本清張の小説「砂の器」で、物語上重要な設定に使われ、東北なまりと「カメダ」という言葉が事件の手掛かりとなります。この町でドラマのロケが行われたそうです。
 
 
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天鷺城
 
亀田藩2万石の歴史と文化を集積した観光スポットです。藩政時代の士農工商の建築物や伝統工芸の実演が見学できる天鷺村のほか、高さ22mの天鷺城、美術館や茶室のある亀田城佐藤八十八美術館などがあります。出羽亀田藩2代目藩主、岩城宣隆公の正室であった「顕性院」は真田幸村の四女「御田姫」です。徳川家康に滅ぼされた真田家の菩提を弔うべく建立された古刹「妙慶寺」もあるそうです。
 
 
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いろんな建造物の中で興味があったのはやはり農家でした
 
 
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勝手口を入るとすぐに厩のある典型的な昔の農家です
 
 
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天鷺城天守閣から眺めた風景…丘の上の建物はワイナリーです
 
 
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昔の農婦の出で立ちです
右側の女性が顔に巻いている黒い布を、秋田県由利地方では「ハナフクベ」と言います。農作業の時の日よけや虫除け、稲の葉が顔を傷つけないため、汗の吸収などなど…又、好色な殿様から身を守るためとも言われています。母もそうですが、今でも農家の高齢の人は農作業時に使用しているそうです。
 
早めに秋田駅の到着し、お弁当とビールを購入しました。始発駅なので早めに乗り込み座席に…何気なくビール缶を持った私に、ホームにいる義妹が″そろそろ飲んだら~″のサインを…そうでしたそうでした…グイッと一口二口…やっと落ち着きました。楽しい思い出に残る故郷の四日間でした。
 
 
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盛岡駅付近の岩手山
 
 
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福島駅付近の夕陽の山々
 
久し振りの故郷でした。普段は無口な(笑)私ですので、生家の家族や友人とのお喋り三昧の毎日はとても刺激的で、心身共に興奮しました。少しずつ元に戻して、いつもの普通の生活に戻ります。             …終わり…
 
 
 
 
 

 
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2014年6月21日(土)・母のベットの脇に寝て、早起き母娘は五時過ぎに家の裏にある畑に出掛けました。肌寒いくらいの涼しい気持ちよい朝でした。今日は待ちに待ったクラス会です。義妹の車で送られて本荘市の複合施設「カダーレ」へ…クラス会の前に会いたい友人がいてここで待ち合わせているのです。久しぶりの小学校時代からの友と″ハグ″して喜び合いました。″ところで、カダーレってどういう意味?″
この地域では、仲間に入ってお喋りしましょうと言うことを″かたれ…語れ″といいます。その言葉をもじったユニークなネーミングでした…いい言葉と思いました。
 
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友人とは歩いてこの本荘公園に来て、木陰の石のベンチでお喋りに花を咲かせました。まだ時間前なのに、私の姿を見つけた高校の友人たちが何人も集まってきました。小学以来の友とはここでお別れして、今度は高校の友とのお喋りです。
 
 
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クラス会の前に本荘公園を皆で散策しました。今は移転していますが、母校はこの公園の傍にありました。懐かしい47年ぶりの公園は、美しく様変わりしていました。
 
 
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本丸跡に建つ「修身館」で、館員の方に本荘の歴史や沿革、文化などの説明をしていただきました。私が地域住民でいたならと、興味深く拝聴しました。
 
 
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秋田名物「ババヘラアイス」…本荘公園内
ババヘラは、主に秋田県で露天販売される氷菓です…おばさん(ババ)が金属製のへらでコーンにアイスを盛りつけることによる呼び名で、秋田の夏の風物詩です。
私も食べたことがありますが、さっぱりとした後味の良いアイスです。カメラを向けたら驚き恥ずかしがって顔をそむけましたが、その前にパチリです。
 
クラス会の参加人数は26名でした。居酒屋を借り切っての宴会で、賑やかなこと、姦しいこと、自然と誰もが大きな声になっていました。車で来ている人がほとんどで、お酒は上京組の数人がお代わり自由の環境で堪能しました。もちろん私も。
二年後のクラス会は、乳頭温泉の鶴の湯と田沢湖に決定しました。その日まで皆で健康に元気でいましょうと、一本締めで散会しました。
その後は希望者だけで友人の経営する喫茶店に行きました。
 
 
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友人の車で移動…奥に見えるのは新山
 
 
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友人の経営する喫茶店…ここでも話が盛り上がりました
 
本荘市内の安楽温泉に8名が宿泊しました。まずは露天風呂で裸のお付き合いです。枕を並べた友と明けの4時近くまでお喋り…何時もだったら起きる時間ですから眠れないでいると、早寝組の人が起きて朝風呂に行くと言うのでくみしました。
それからは早起き組との会話で、とうとう一睡もできませんでした。
散会の後、弟が迎えに来てくれたので実家に戻り仮眠しました。その後、母と二人で畑から思い出の白雪川を廻り、ご先祖様のお墓参りをしてきました。
 
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実家の屋敷内を流れる川です。子供の頃は川底の石をさらって綺麗にし、ここで泳いでいました。右奥の農作業小屋には水車があり、電力の補助になっていました。
 
 
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今は川幅が狭いですが、子供の頃はもっと大きな川に感じていました。この辺りで飼っている農耕馬の「きよかぜ」がからだを洗ってもらっていました。
 
 
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弟夫婦が維持してくれている昔と変わらない池です。子供の頃に懐いていた戦前からいた鯉は、鳥海山の噴火による酸性水の流れ込みで、全滅しました。
 
 
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それでも、以後に飼った鯉が大きく育っています。私が近ずくと鯉は逃げましたが、弟の足音が近ずくと多くの鯉が寄り集まってくるそうです。
 
 
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母の畑の夕顔の花です…白洲正子氏のように咲くまで待ってはいられません
 
二か所の畑を廻り白雪川へと向かいました
 
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川手前のお地蔵様…子供の頃は、年齢分の石を積んでから川に向かいました
 
 
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白雪川
白雪川は鳥海山に源を発し、四つ五つの集落を流れて日本海に達する流域の短い二級河川です。岩魚や山女魚の棲む美しい清流でしたが、昭和48年に180年ぶりに噴煙を上げた鳥海山の影響で、今でも魚の棲めない川になっています。
 
 
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河原に下りてみました。夏場の水量の少ないときはここが子供たちの遊泳場でした。子供にも捕まる魚がいて、流木で火を焚き焼いて食べたことがあります。
 
 
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この川の奥には晴れた日には鳥海山が大きく見えます
 
 
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水量の少ないときには、滝の上は隣集落への通り道になっていました
 
  
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河原のニワトコ(接骨木)の赤い実
 
 
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にかほ高原の風車
 
 
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コウリンタンポポ(紅輪蒲公英)
 
 
…③に続きます…
 
 
 
 

 
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2014年6月20日(金)・始発の電車に乗り一路故郷へと向かいました。待ってくれている老いた母と、春先に大病をして回復し元気になったという弟、義妹、甥に会うためです。又二年に一度開かれる高校のクラス会にも出席します。待ちに待ったこの日は夜明け前に目が覚めました。上野から新幹線″こまち″で秋田駅へ、改札口前には弟夫婦が迎えに来ていました。秋田駅から生まれ在所までは、車で1時間30分程国道7号線を南下しますが、その沿線にある名所を案内してくれると言ってくれました。秋田県生まれでも知らないところが多く、嬉しい申し出でした。
 
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道の駅「岩城」裏の海岸…男鹿半島と右端の寒風山
 
小さなレストランでのランチ後、裏の海岸に出てみました。浜辺にも丘にも″ハマヒルガオ″が沢山咲いています。曇り空でしたが、遠くに男鹿半島や寒風山を望めます。ここから少し北の道川海岸には、東京大学生産技術研究所のロケット発射実験施設がありましたが、現在は浜辺に記念碑が残るのみだそうです。
 
 
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ハマヒルガオ(浜昼顔)
 
国道7号線を南下し、由利本荘市西目にある「ハーブワールドAKITA」に立ち寄りました。総面積20,000m2のガーデンに世界のハーブが約250種栽培されている東北一のハーブ園だそうです。もったいないくらいの広い園内はお花も蜜蜂もいっぱいで、入園は無料でした。ちょうど端境期でしたが綺麗な花と香を楽しみました。
 
 
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ムラサキツユクサ白色種…初めて見た花で蕊がほんのり紫色でした
 
 
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ホワイトキャンピオン…レッドキャンピオンそっくりの白色種
 
 
国道をさらに南下して、にかほ市にある「白瀬南極探検隊記念館」に立ち寄りました
 
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白瀬南極探検隊記念館…黒川紀章設計
 
地元出身ですが初めて入った記念館です(平成2年開館)・私の写真は国道側から撮りましたが、建物の正面は海側の反対側のようです。
 
 
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にかほ市金浦出身の白瀬矗(しらせのぶ)陸軍中尉は、少年時代から極地探検を志して研さんを重ねました。彼の壮大な夢とロマンに共感した30人の男たちが明治末期、南極の白い大陸に立ち向かいました。当時、同じく南極点を目指したノルウェーのアムンセン隊やイギリスのスコット隊が国家的支援のもとに行動を展開したのに対し、国民の義援金に支えられただけの白瀬隊は、船も装備もあまりに貧弱であり、結果的に極点踏破の夢はかなえられませんでした。
 
 
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しかし、わずか204トンの木造機帆船「開南丸」を操って南極を往還し、一人の犠牲者も出しませんでした。帰国後盛大な歓迎を受けるも、彼には膨大な借金が残され、白瀬の後半生は、借金返済のための苦難に満ちた生活だったそうです。
昭和21年に間借り先の愛知県西加茂郡挙母町(現豊田市)鈴木鮮魚店の2階で、腸閉塞のため85歳で死去します。辞世の歌は「我れ無くも 必らず捜せ 南極の 地中の宝 世にいだすまで」…昭和45年に日本女性として初の小型ヨットによる世界一周を果たした白瀬京子氏(1936年~1990年)は、白瀬矗の弟の孫です。
 
 
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記念館前の南極公園…開南丸の模型やクジラの遊具
 
 
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南極記念館前の竹嶋潟
 
 
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右の島が潟に浮く竹嶋です…ここは地元の桜の名所です
 
 
道の駅象潟の「ねむの丘」の展望台から九十九島を眺めました
 
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九十九島…松尾芭蕉が奥の細道で訪れた時には潟だった所です。天気の良い日には、写真右上に鳥海山の美しい偉容が眺められます。
 
 
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 象潟・皇宮山蚶満寺参道
 
 
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 皇宮山蚶満寺・山門
蚶満寺は曹洞宗の寺で853年天台座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられます。蚶方(きさかた)の美景と神功皇后の伝説により皇宮山干満殊寺と号ししました。土地の言い伝えでは、その昔神功皇后が朝鮮半島出兵の折大しけに遭って象潟沖に漂着し、その時に臨月の近かった皇后は皇子(後の応神天皇)を出産しました。その後象潟で半年を過ごし翌年筑紫の香椎宮に向かったと言います鎌倉幕府五代執権・北条時頼も全国行脚の途中この寺に立ち寄っています。嘗ては「東の松島、西の象潟」と呼ばれる景勝地でした。
 
 
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舟つなぎの石…奥の沼は海の潟だった頃の名残りと伝わります。
 
 この舟つなぎの石の傍らの桜は、西行法師歌桜の跡です。西行法師は平安中期の旅の歌人「能因法師」の足跡をたどり象潟を訪れました。又松尾芭蕉は西行法師の足跡、歌枕を訪ねて奥の細道に旅立ったとも言われています。
西行法師の歌「蚶方の 桜はなみに埋もれて はなの上こぐ 海士のつり船」
 
能因法師は訪れた象潟の小島に庵を結び、3年間寓居したと伝えられ今もその名を残す能因島があります。詠まれた歌は世の中はかくてもへけり蚶方の あまのとまやをわが宿にして」です。
 
 
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  蚶満寺境内・芭蕉像…「象潟や 雨に西施が ねぶの花
 
芭蕉を初め、文人墨客を感動させた美しい象潟の入江も、芭蕉が象潟を訪れてから115年後の文化元年(180464日に鳥海山麓一帯を襲った大地震で、海底が約2.4mも隆起して潟の水が失われ、再び陸地になってしまいました(850年に起きた大地震で土地が陥没し象潟の九十九島が出現しています)。現在、田圃の中に僅かに点在する大小103の丘がかつての島の名残であり、国の天然記念物に指定されています。地元民は地震が起きて又再び土地が陥没しないかと心配しています。
 
 
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西施像・芭蕉の句に詠まれた中国の美女
 
 西施は春秋時代に越王の勾践(こうせん)が策略の為に呉王の夫差(ふさ)に献じたとびきりの美人です西施は胸を病んでいて眉をひそめ憂いを含んだ様子が却って魅力的な美人でやがて呉王の夫差は西施を溺愛して国を傾けたと言われます。雨の中に咲くねむの花と西施の美しさを併せ詠んだ芭蕉の句です。
 
 
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 蚶満寺境内・親鸞聖人御腰石
 肥前島原の西方寺にあった親鸞聖人が腰掛けたとされる石です安永6年(1777)切支丹の変を避けるため蝦夷に輸送中にシケに遭い象潟に陸揚げしてここに納めたものと言われます。 
 
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蚶満寺境内・ タブノキ(椨)…樹齢1000年を超える霊木です
 
 私の観たい処を案内してくれた弟夫婦に感謝しつつ、近くの実家に向かいました。
 
 
…②に続きます…
 

 
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神代植物園のマグノリア園前を右に入ると、池と池とを繋ぐ小川に沿ってせせらぎの小道が続きます。木洩れ日の中の静かな水辺の散策路は心なごみます。
 
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水面に映り込む木々が美しく、写生をしている方が何人もいました
 
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この奥にアジサイ園があります
 
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咲いたばかりの、まだ色付かない紫陽花が多かったです
 
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アナベル
 
林の中のアジサイ園は、各紫陽花の前に名札がついています。昔から伝わる自生の野生種や、古くから伝わる古園芸品種の紫陽花も多く植栽されているようです。貴重な品種なのでしょうが株も小さく花もまばらで、被写体を探すのは難しかったです。名前以外のことはネット検索で調べました。
 
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アナベル…アメリカ原産の「ワイルドホワイトハイドランジア」の園芸品種
 
 
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ウズアジサイ(渦紫陽花)
江戸時代に作出されたと伝わる園芸品種で、ガクアジサイの突然変異種といわれます。丸みのある装飾花が、渦を巻くように咲き、萼片が皿状なのが特徴です。別名 は、お多福紫陽花(オタフクアジサイ)で、流通名になっています。

 
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クレナイ…ヤマアジサイの変種で、もっと赤く染まります
 
 
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クロヒメアジサイ(黒姫紫陽花)
ヤマアジサイが青くなった変種で、クロヒメは長野県の黒姫ではなく、黒いヒメアジサイの意味です。古くは濃い紺色を″黒″と呼んでいました。
 
 
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スノーフレーク…別名「カシワバアジサイ・柏葉紫陽花」
 
 
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ナデシコガクアジサイ(撫子額紫陽花)
伊豆半島の東海岸には、色彩と花型に富んだガクアジサイが自生し、又南伊豆には伊豆半島には自生していないと考えられていたヤマアジサイがあり、それが海岸近くまで存在することにより、ガクとヤマアジサイの交雑種と思われるたくさんの中間種が見られます。ナデシコガクアジサイも伊豆半島で発見された品種です。
 
 
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ベニデマリ(紅手毬)…これからもっと薄紅に染まります
 
 
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マイコアジサイ(舞子紫陽花)
 
 
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ハナビアジサイ(花火紫陽花)…流通名は「墨田の花火」
 
 
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ジョウガサキ(城が崎)…城ヶ崎海岸で発見された紫陽花
 
 
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シロフジ(白富士)…白い八重咲の山紫陽花
 
 
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ハマビジン(浜美人)
 
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フジノタキ(富士の滝)…富士山山麓で発見されたヤマアジサイの変種
 
 
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ミカンバアジサイ(蜜柑葉紫陽花)・蜜柑葉のように葉の縁に鋸歯がない
 
 
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 名のわからない紫陽花…ピンク色の装飾花が綺麗でした
 
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 名のわからない紫陽花…濃い紫色の美しい花色でした
 
 
アジサイ園から森の小道を歩くと大きなラクウショウが林立しています
 
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 ラクウショウ(落羽松)
 
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睡蓮の咲く池と四阿
 
 
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 睡蓮
 
この睡蓮の咲く池には時折「カワセミ」が姿を現します。多くのカワセミファンのカメラマンが、空中でホバリングしながら飛び込む姿を狙っています。夏の間のカワセミは、もっと涼しい山間に巣食っているのでしょうか、最近は姿を見ることがないです。
 
 
 
 
 
 

 
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2014年6月15日(日)に調布野草園と神代植物公園に行きましたが、6月の調布野草園は隔週の日曜が休園でした…どうしても「ギンバイソウ」の花が見たくて、17日(火)に再び出かけましたが、目当ての花はまだ蕾でした。でも近くの神代植物園では、いろんな珍しい花に出会うことが出来て、無駄足にはなりませんでした。
神代植物園園長の″園長のとれたて情報″のブログを見ています。そこに幻の紫陽花と言われていた「シチダンカ」の花情報が載っていました。
 
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紫陽花・シチダンカ(七段花)
 
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シチダンカ(七段花)はヤマアジサイの変種です。六甲山の特産種で、シーボルトの「日本植物誌」に採録されていましたが、日本人の誰もがその実物を見た人がなく、″幻のアジサイ″とよばれて長い間探し続けられていました。ところが、たまたま六甲ケーブル西側で昭和34年(1959)に見つかりました。それはシーボルトが紹介して以来約130年ぶりのことです。初めて見たシチダンカは、樹高も50㎝位で低く、花も小さな星のような清楚な花で、葉は細く小さく甘茶に似ていると感じました。
 
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花は装飾花が八重咲きとなり、各がく片が剣状に尖りきれいに重なって星状に見えるのが特徴です。ここ深大寺植物園のシチダンカは装飾花だけで両性花は見えませんでした。初めて見た花ですので、目の前の花が盛りの花なのか咲き終りの花なのかわかりませんでした。地味な花にカメラを向ける人は誰もいませんでした。
 
 
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アメリカディゴ(海紅豆)
 
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アメリカディゴはマメ科の落葉低木で和名をカイコウズ(海紅豆」と言います。鹿児島県の県木で、上野の西郷像の傍にも植えてあります。
 
 
園長先生のブログに、タイサンボクの花が下まで咲き降りてきています…見頃ですよと…マグノリア園へと急ぎました…花の前でスケッチをしている方がいました。
 
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タイサンボク(泰山木)…目線よりも高い所に咲いていた花
 
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タイサンボク(泰山木)…丁度目線の高さの花
 
昔住んでいた家の庭には大きなタイサンボクの木がありました。二階から花は眺められても目線の高さには咲かず、茶色の落下の花弁で花時を知るだけでした。
 
大きなタイサンボクの木陰に、小さなふっくらした花の咲いているのを見つけました
 
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ヒメタイサンボク(姫泰山木)…優しい可愛い花です
 
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ヒメタイサンボク(姫泰山木)はモクレン科の低木で原産地は北アメリカ東部で、タイサンボクとほぼ同じ地域です。別名「バージニアモクレン」と言われます。
 
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インドハマユウ(印度浜木綿)
 
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キハギ(黄萩)
 
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ヤブレガサの花(破れ傘の花)
 
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ソバ(蕎麦)
 
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クマノミズキ(熊野水木)
 
 
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ツルマサキ(蔓柾)…ニシキギ科の常緑蔓性木本
 
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ツルマサキ(蔓柾)
 
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クイーン・オブ・神代
花の前の案内板より…「このバラは、平成23年10月20日に50周年を迎えた神代植物公園の記念事業の一つとして、神代植物公園にちなんだ名前をつけたバラです。もともとは、平成21年度国際バラ新品種コンクール金賞受賞花で、まだ名前がついていなかったものに、作出者の了解を得た上で、公募により名前を付けたものです。気品にあふれ、香りも高い深紅のバラで、まさに神代植物園のクイーンの名にふさわしいバラです」…花の少ないバラ園…ビロード色の深紅の美しいバラでした。
 
 
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アゲハチョウ
 
 
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ハイビスカス・白種…温室
 
 
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ハナショウブ(花菖蒲)…水生植物園
 
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クチベニコウホネ(口紅河骨)…水生植物園
水生植物園の沼で朱色のコウホネを見つけました。初めての花色で、変色しただけかと思っていましたが、神代植物園の植物会館前の甕の中に同じ花が咲いていて「口紅コウホネ」の名札がありました。調布野草園にお目当ての花が咲いていなかった後でしたので、新しい発見にヤッホーの気分でした。帰宅後ネット検索してみましたが、詳しいことは何もわかりませんでした。
 
…②に続きます…
 
 
 
 
 
 
 

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