きよかぜ便り

60の手習いで覚えたパソコンとカメラで楽しんでいます

2014年12月

 
イメージ 1
 
 
2014年12月24日(水)・住んでいる街から南へ少し下ると黒目川が流れています。
小平霊園内の「さいかち窪」に源を発し朝霞市で新河岸川に合流する一級河川で、湧水の地である東久留米市内では清流の落合川が合流します。又黒目川の名の由来は、古代からこの辺りは″クルメ″とか″クルネ″とか呼ばれていたのに、後世の人が当て字をしたと言われています。東久留米市の名もまた然りです。
 
小金井街道に架かる上落馬橋から川沿いの道を、川の源へとサイクリングしました
 
イメージ 2
清流の綺麗な川です…河床には水草が多く生えています
 
 
イメージ 3
川岸で子供がパン屑を投げていました…鯉も鴨も餌を捕るのに必死です
 
 
イメージ 4
都大橋付近…ここは大きな湧水地です…クレソンがたくさん生えています
 
 
イメージ 5
しんやま親水広場内を流れる黒目川…ここは親水公園になっています
 
 
イメージ 6
柳窪の「第十小」脇を流れる一筋の川…ここも黒目川の本流です
 
 
イメージ 7
地から染み出た水が一筋の流れになり、黒目川に合流します
 
 
イメージ 8
川の流れはありません…わずかに地下から湧き出しています
 
 
イメージ 9
黒目川天神社前の湧水地は枯渇、黒目川本流には水が流れていません
 
 
イメージ 10
水の流れのない川です…川向うの新青梅街道の騒音が聞こえてきます
 
 
イメージ 11
新青梅街道の下をくぐり、水のない川は小平霊園内に入ります
 
 
イメージ 12
都立小平霊園…総面積は650,000m²、40,000区画の大霊園です
 
 
イメージ 13
霊園内の川筋らしき窪みと橋
 
 
イメージ 14
梅雨時には水の流れが見られるそうです
 
 
イメージ 15
ここの土管の前が、黒目川の最上流端です
 
「さいかち窪」とは、小平霊園の一角の雑木林に覆われた直径100m余りの窪地です。黒目川の地形上の源頭にあたり、通常は水のない涸れ窪ですが、雨の続いた後などには水を湛え、雨の多い年には何日も水がたまったまま沼のようになることもあると言います。最後にここが湧出したのは2008年だったそうです。
 
 
イメージ 16
さいかち窪の雑木林…昔は″梍・サイカチ″の木でも生えていたのでしょうか
 
さいかち窪を後に、近くの角上魚類で買い物をしました。角上魚類は新潟県寺泊にある「魚のアメ横」に拠点を置く鮮魚専門店です。日本海の魚を食べたくなるとここに来ます。帰り道は東久留米の「下里本邑遺跡公園」に立ち寄りました。
 
 
イメージ 17
東久留米市・下里本邑(しもさとほんむら)遺跡公園入口
 
 
イメージ 18
 
下里本邑遺跡公園・黒目川の南にむかってゆるい傾斜をみせる台地と清らかな流れをもった黒目川…ここは、原始・古代の人々にとって大変住みやすい土地で、現在に至るまで約二万五千年にわたる人々の生活の場でした。最初に人が住み始めたのは今から約二万五千年前の先土器時代、その生活の跡は関東ローム層の赤土の中から発見されました。当時は今より気候が寒く、ナウマンゾウやオオツノジカの群れをおって生活する狩人の時代でした。ここからは先土器時代、縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代までの長い期間にわたる生活の跡や当時の道具が多く発見されました。(案内板より抜粋)
 
 
イメージ 19
先土器時代の礫群…焼けた石が集まり、当時の調理場だったようです
 
 
 人のいない遺跡公園ですが、太古の昔から人が住んでいたと思うと、何となく温もりを感じます。この公園脇は新小金井街道が通り、私の通い道になっています。
 
 
 
 
 

 
イメージ 1
 
 
野川の後の帰路、自転車で走るルートはいろいろありますが、今回は浴恩館公園の脇を通り、小金井公園を抜けるコースにしました。
 
イメージ 2
浴恩館公園・入口
 
 
イメージ 4
浴恩館公園内の紅葉…盛りは過ぎていますがまだ美しいです
 
 
イメージ 3
浴恩館…現・小金井市文化財センター
 
浴恩館は昭和3年、京都御所で行われた昭和天皇即位大嘗祭の神職の更衣所を、(財)日本青年館が譲り受けて移築したものです。昭和6年から全国の青年団の指導者層が集まり、寝食を共にして人間形成をする講習所として機能しました
 
 
イメージ 5
空林荘前の案内板…空林荘は去年3月に不審火で焼失しました
 
 
イメージ 6
焼失した空林荘跡…空林荘は下村湖人の宿舎でした
 
日本青年館の設立理事であり、「青年の父」と謳われた田澤義鋪(たざわよしはる)は、昭和8年、故郷佐賀の後輩で無二の畏友、下村湖人(しもむらこじん)を、浴恩館に開かれた青年団講習所の所長として呼び寄せ、実践教育に当たらせました。
下村湖人の代表作「次郎物語」は、1941(昭和16)~1954(昭和29)にかけて刊行された、主人公の次郎が幼少から青年となるまでの成長の5部からなる物語です。 この空林荘で下村湖人が「次郎物語」の構想を練ったと言われます。
 
 
イメージ 7
 
浴恩館はその後、軍部に格好の軍事訓練の場として目を付けられ、次郎物語も雑誌連載が中止となり、下村湖人も所長を辞任します。戦後はユースホステルとして復興しますが次第に維持困難となり小金井市に売却、現在は小金井市の郷土資料を展示収蔵する文化財センターとなっています。
 
イメージ 8
今年は時期が遅かったのですが、去年の紅葉はもっと華やかでした
 
 
イメージ 9
浴恩館裏の池の水面には薄氷が張っていました
 
 
イメージ 10
黄色いモミジが美しいです
 
 
イメージ 11
浴恩館公園傍の仙川に「次郎橋」がかかります…水は流れていません
 
 
恩浴館公園の北側は小金井公園…何時も園内を通り抜けます
 
イメージ 12
小金井公園正面入口
 
 
イメージ 13
すっかり冬景色の公園内…広い公園は歩いては廻りきれません
 
 
イメージ 14
ユリノキの林もすっかり裸木になっています
 
 
イメージ 15
小金井公園北側の「石神井川上流端」…セメントの川に水の流れはないです
 
 
イメージ 16
暗渠になっている石神井川の源
 
 
小金井公園の「江戸東京建物園」と「小金井カントリーグラブ」の間の道が好きでよく通ります。超名門と言われるこのゴルフコースの景色を眺めるのも楽しみです。
 
イメージ 17
左側が「江戸東京建物園」・右側が「小金井カントリークラブ」です
 
 
イメージ 18
フェンス越しの小金井カントリークラブの景色
 
 
イメージ 19
 
ここ小金井カントリークラブは、昭和12年開場の古い歴史を誇るゴルフコースとの事、会員権は男性の個人会員のみで女性は会員になることが出来ないそうです。もっとも私には無縁の処です、フェンスの隙間から眺められる美しい景色だけでももうけものと思いつつ、帰路を急ぎました。
 
 
 
 
 
 
 

 
イメージ 1
 
 
滄浪泉園から連雀通りを小金井街道の前原坂上へ…はけの道を通ります
 
イメージ 2
はけの道…ここから国分寺崖線上の連雀通りまでは、多くの坂道があります
 
 
イメージ 3
はけの森果樹園…シンボルの大欅も葉を落とし、キウイフルーツも収穫済です
 
 
イメージ 4
はけの森美術館…10月25日にリニューアルオープンしました
 
リニューアルした″はけの森美術館″に入ってみたいと思っていましたが、本日は休館日でした。美術館裏の″美術の森緑地″を散策してみました。
 
はけの森美術館は、1945年の東京大空襲で代々木の住居とアトリエを焼失した中村研一画伯が、終戦後に小金井市中町に転居し永住した住居跡に建てられた小金井市立美術館です。氏が亡くなって22年後に、夫の作品を彼の死後守ってきた富子夫人が個人美術館として15年間独力で開設していましたが、その後小金井市に寄贈、改修などを経て2006年年春に「中村研一記念小金井市立はけの森美術館」としてオープンしました。
 
 
イメージ 5
美術館裏の氏の住居や庭園は″美術の森緑地″として無料開放されています
 
 
イメージ 6
「オーブン・ミトンカフェ」…邸宅は喫茶棟で、オーナーは小嶋ルミさんです
 
 
イメージ 7
旧中村邸の茶室…この緑地は大岡昇平の小説「武蔵野夫人」のモデルの地です
 
 
イメージ 8
蹲踞(つくばい)もモミジの落ち葉であふれています
 
 
イメージ 9
湧水の池にもモミジが散り敷きます
 
 
イメージ 10
露地の石畳とモミジ
 
 
イメージ 11
竹林の中の石段を上ると連雀通りへ
 
 
イメージ 12
北口の裏木戸の前には、大岡昇平ゆかりの地の案内板があります
 
 
美術の森緑地を後に野川自然観察園に向かいました
 
イメージ 13
手前を流れる川は野川…奥は国分寺崖線の森で、その手前がはけの道です
 
 
イメージ 14
武蔵野公園の原っぱで、青い目の女の子が三人で遊んでいました
 
西武多摩川線高架下の、野川にかかる二枚橋からが野川公園です
 
イメージ 15
野川公園内の野川の流れ
 
 
イメージ 16
多くの渡りのカモが泳いでいます
 
 
野川自然観察園内に入りました…まだまだ紅葉が美しいです
 
イメージ 17
園内の小道は落葉の堆積でフカフカです
 
 
イメージ 18
オオモミジの奥には、来春早々にセツブンソウが咲きます
 
 
イメージ 19
雑木林の中のモミジがやっと紅葉しました
 
 
イメージ 20
燃えるような色…終いのモミジは情熱的な色合いです
 
 
イメージ 21
カバノキ(樺の木)の実
 
 
イメージ 22
初冬の野川自然観察園には人がいません
 
 
イメージ 23
芒と園内の景色
 
 
イメージ 24
 
自然観察園に咲く花はほんの少しでした。上の写真の時計回りに「ソソンロウバイ」・「キチジョウソウの実」・「カンアオイの花」・「コウヤボウキの実」・「ヤブコウジの実」・「ニホンズイセン」です・・・タイトルに使った写真は「ロウバイ」です。
 
 
…終いの紅葉③に続きます…
 
 
 
 
 

 
イメージ 1
 
 
2014年12月19日(金)…いま一度の紅葉をと、久しぶりに自転車で出掛けました。
住んでいる街から新小金井街道を南へ1時間ほど走り、小金井市の貫井トンネルの手前を左折すると滄浪泉園があります。終いの紅葉がまだ楽しめるはずです。
 
イメージ 2
滄浪泉園の入り口門と犬養木堂筆の門標
 
滄浪泉園は、明治大正期に三井銀行などの役員・外交官・衆議院議員などを歴任した波多野承五郎(雅号・古渓)により、武蔵野の特徴的な地形である「はけ」とその湧水を巧みに取り入れて整備された庭園です。名の由来は大正8年にこの池に遊んだ犬養毅(雅号・木堂)元首相によって、友人古渓のために名付けられたもので、「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」との深い意味を持っています。入口付近の石の門標は、木堂翁自らの筆によるもので、大きな赤御影石が使われています(パンフレットより抜粋
 
 
イメージ 3
門を入った処の小道…石畳の両脇には落葉が重なります
 
 
イメージ 4
小道を曲がると見事な紅葉が現れました
 
 
イメージ 5
落葉を掃いていた管理人の方は″5日ほど前が紅葉の盛りでしたよ″と…
 
 
イメージ 6
空を見上げると錦の紅葉です…ここには汚染を嫌う赤松も多く生えます
 
 
イメージ 7
燈籠や古仏も紅葉に趣を添えてくれます
 
泉は擂鉢の底の様な処に在り、泉へと急な石段の道を下ります
 
イメージ 8
 
石段の途中、杉木立の合間から泉の水面が垣間見えます…この景色が好きです
 
イメージ 9
 
小さな泉に周りの木立や太陽が映り込んで、幻のような景色です
 
イメージ 10
 
池の周りの紅葉は盛りを過ぎていましたが、それでも美しかったです
 
イメージ 11
 
ぐるりと一巡りしても10分とかからない小さな泉…小鳥の囀りだけが聞こえます
 
イメージ 12
はけからの湧水
 
滄浪泉園は、古代多摩川が次第に南西に移っていった途中で作った最も古い段丘の一つであり、この斜面は地形学上″国分寺涯線″と呼ばれ、立川市の北東から世田谷区の野毛町まで続きます。地下の砂礫層からは豊かな地下水が湧き出て、それは一般に″はけ″と呼ばれ野川の水源になっています。
 
 
イメージ 18
 
池の畔にはベンチが設えてありますが、人影はありません…私一人だけでした
 
イメージ 13
おだんご地蔵…1713年に念仏供養のために祀られました
 
 
イメージ 14
おだんご地蔵の上のモミジの黄葉
 
 
イメージ 15
鼻かけ地蔵…1666年に庚申様として祀られた小金井市内で最古の地蔵です
 
 
イメージ 19
湧水は泉を後に野川へと流れ下ります
 
 
イメージ 16
水琴窟…左側の青竹を石の隙間に充てると、琴線の様な響きが聞こえます
 
 
イメージ 17
岩の隙間から流れる水は、青木の葉を伝って流れます…スローシャッターで…
 
 
…終いの紅葉②に続きます…
 
 
 
 
 
 

 
イメージ 1
 
 
 
2014年12月14日(日)・今日はNPO法人東京シティガイドクラブ主催の「神田川をめぐる旅・第5回…お茶の水~万世橋~柳橋」が開催される日、全5回シリーズの最終回です。PM12時30分に御茶ノ水駅の聖橋駅前に集合ですが、何時もの通り早めに到着しました。出席をチェックしていたシティガイドクラブの方に″おめでとうございます…皆勤賞です″と、記念の「広重・名所江戸百景の栞」を戴きました。この日は陽は射していますが、日本列島がすっぽり寒波に覆われた寒い一日でした。
 
 
イメージ 2
皆勤賞のご褒美の栞…嬉しかったです
 
 
イメージ 3
聖橋南詰の″御茶ノ水ソラシティ″の案内からスタートしました
 
御茶ノ水ソラシティは2013年4月に開業した複合施設で、地下1階が店舗、1~2階が会議場、3~5階はデジタルハリウッド大学らの教育関連施設、6~23階にオフィスが入っています。このビル横の淡路坂周辺は、江戸中期に活躍した狂歌師・太田南畝の終焉の地とも言われます。又高知から本拠を東京に移した三菱財閥の祖・岩崎彌太郎と彌之助が最初に構えた会社と屋敷がここにありました。1940年には岸記念体育館(岸信介氏とは無関係との事)が建設され、その後日立製作所が本社を置いていましたが2010年に解体、現在に至っています。見晴らしの良い丘の上です。
 
 
イメージ 4
御茶ノ水ソラシティビル
 
ビル前でガイドさんの説明を聞いていると、何処からともなく美しい鐘の音が聞こえてきました…ニコライ堂の鐘の音です…毎日午後1時に鐘が鳴るそうです。藤山一郎の歌う♪…あ~あニコライの鐘が鳴る~♪…ふと胸が切なくなりました。
 
 
イメージ 5
ソラシティ地下広場のクリスマスツリーの向うに、ニコライ堂が見えます
 
 
イメージ 6
ニコライ堂の鐘と八端十字の十字架…ロシアンクロスとも言われます
 
 
 
イメージ 7
ニコライ堂外壁のイコン「聖像画」
 
ソラシティからニコライの鐘をききながらニコライ堂へと歩きました…帽子を脱ぎ手袋をはずして、厳粛な気持ちで聖堂内を拝観しました。美しいステンドグラスとイコンの聖像画、重厚な聖堂内のビザンティン様式の装飾と吹き抜けの天井アーチの美しさに目を見張りました。もちろん聖堂内は撮影禁止でした。下の写真は、目の前で何度も拝観して感動した聖母マリア様のイコンです。
 
 
イメージ 27
聖母マリア様のイコン…戴いたパンフレットの写真を写しました
 
 
聖橋を渡った時に、東京医科歯科大学の壁画レリーフが見えます
 
イメージ 8
  ヒポクラテスによる「医師の誓い」のレリーフ…医の倫理を説いているそうです
 
 
湯島聖堂
 
イメージ 9
 湯島聖堂大成殿の鴟尾(しび)…潮を吹き上げ水の神として火を防ぎます
 
 
 
イメージ 10
 湯島聖堂・仰高門…熱心に写真を撮る同行の友人達
 
 
イメージ 11
相生坂と 湯島聖堂の築地塀…この景色は広重の名所江戸百景に描かれています
 
 
イメージ 12
 広重・名所江戸百景「昌平坂聖堂神田川」…江戸を彷彿させる景色です
 
 
昌平橋を渡り、紅梅河岸高架橋へ向かいました
 
イメージ 13
 紅梅河岸高架橋商店街…手前の道は淡路坂で、坂を上った処は聖橋です
 
 
旧連雀町の老舗名店街を廻りました
 
イメージ 14
 かんだやぶそば…思った通り長い行列が続きます
 
 
イメージ 15
 鳥すきやき「ぼたん」の店先では、すきやきに使う備長炭をバケツに入れていました
 
 
イメージ 16
あんこう料理専門店「いせ源」…店のウインドウ前が賑わっています
 
 
イメージ 17
 店先に展示された本物の″あんこう″…吊るされたのは見たことがありますが…
 
 
マーチエキュート神田万世橋の後、万世橋を渡りました
 
イメージ 18
 万世橋の橋の袂の″旧トイレ″…旧トイレの上に現在のトイレがあります
 
 
柳森神社の後歩いた柳原通りの蕎麦屋の前に″かつお節″が…
 
イメージ 19
 蕎麦屋の前の″カツオ節″…猫に鰹節と言いますから心配です
 
 
神田佐久間河岸あとから秋葉原駅へ…その後に総武線高架下を歩きました
 
イメージ 20
 秋葉原の総武線高架下の商店街(左側)…三階の高さがあります
 
 
神田川の浅草橋や柳橋には多くの船宿があり、屋形船が停留しています
 
イメージ 21
灯りを点し 出港準備中の屋形船…船内の御座敷でお料理がいただけます
 
 
柳橋の袂が今日の神田川をめぐる旅のゴール、全5回シリーズの最終ゴールです。東京シティガイドクラブのメンバーの方が″おめでとうございます″と拍手で迎えてくれました。もう午後4時過ぎで陽が傾きかけています。それでももうひと踏ん張り、両国橋から神田川と隅田川の合流点をよく確認してから、川向うの両国駅に向かうことにしました。両国橋の袂からはスカイツリーが美しく見えます。
 
 
イメージ 22
 隅田川とスカイツリー…雁の渡りが見えます…V字型隊列です
 
雁の渡りは最初は良く見えませんでした…もっとズームして撮ろうとしましたがシャッターが押せません…写真右上に幽かに写っただけでしたが嬉しかったです。
 
 
 
イメージ 23
 神田川が隅田川に合流する処です…友人三人で感動しました
 
 
イメージ 24
 両国橋の両国側
 
 
イメージ 25
 国技館通りへの交差点…お相撲さんが自転車で通りました
 
 
目当てのレストランがなかなか見つかりません…やっと軍鶏の店を見つけました
 
イメージ 26
乾杯の生ビールとお通し…この後の写真は忘れて写しませんでした
 
神田川をめぐる旅の5回シリーズで皆勤賞を戴いた三人で打ち上げの乾杯、北風の吹く長い道のりを歩いた労をねぎらいました。ゆっくりはできません、家ではそれぞれの殿方がお待ちです…大江戸線に乗り込んで急いで帰宅しました。
 
 
 
 
 

↑このページのトップヘ