きよかぜ便り

60の手習いで覚えたパソコンとカメラで楽しんでいます

2015年07月


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2015年7月23日(木)・神代植物園内を一巡りし、その後すぐ傍の神代植物園植物多様性センター~調布野草園へと行きました。夏の花が元気に咲いています。

神代植物園

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アーティチョウーク…和名は「朝鮮薊」、若い蕾は食用になります


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アメリカフヨウ…草木で、「草芙蓉」とも呼ばれる大きな芙蓉の花です


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クサギ(臭木)…葉の臭いからこの名がありますが、花は美しく芳香があります


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シナノアキギリ(信濃秋桐)…キバナアキギリそっくりですが葉の形が違います


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ソバナ(岨菜)…信州の山の辺でよく見た懐かしい花です


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ソバナ(岨菜)…キキョウ科ツリガネニンジン属。「岨」は切り立った崖を意味していて、山の岨に生えて若芽が山菜となるのが名の由来とされます。花はツリガネニンジンによく似ていますが、ツリガネニンジンは花を輪生させ、花の形も違います。


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ニクイロシュクシャ(肉色縮砂)…ショウガ科でインド原産、花は夕方に咲きます


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モミジバアオイ(紅葉葉葵)…ハイビスカスの仲間の一日花です


神代植物園植物多様性センター

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ヤマシャクヤク(山芍薬・白)の実…楚々とした花からは想像できない野性味です


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カワラナデシコ(河原撫子)…炎天下に涼しげに咲いています


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カワラナデシコ…別名を「大和撫子」とも呼ばれ、万葉集にも「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花」と詠まれます。


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レンゲショウマ(蓮華升麻)…(鉢植)


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レンゲショウマ…キンポウゲ科の日本特産の1属1種の花で、花が蓮に、葉がサラシナショウマに似ているのが名の由来です。絶滅危惧種にも指定されている種であり、山野草ファンには堪らない魅力のある花です。御岳山や赤城自然園のレンゲショウマ群生地にも行きましたが、今年も是非行って見たい思いでいます。


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アカネ(茜)…根が赤いのが名の由来で、草木染や生薬になります


調布野草園

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キツネノカミソリ(狐の剃刀)…ヒガンバナ科で花は水仙に似ています


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ウバユリ(姥百合)…花時は葉が枯れることが多く、歯のない「姥」に例えられました


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キレンゲショウマ(黄蓮華升麻)…もう少し花が開きます

キレンゲショウマは、紀伊半島、四国、九州の限られた山地に分布する1属1種の珍しい植物で、絶滅危惧種に指定されています。レンゲショウマに似た黄色の花が咲くのが名の由来ですが、あまり似ているとは思えません。キレンゲショウマは花弁が全開せす、ラッパ状に半開します。四国の剣山には、宮尾登美子氏の小説「天涯の花」で、一躍脚光を浴びた有名な群生地があるそうです。


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マンリョウ(万両)


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メハジキ(目弾き)


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アレチハナガサに止まる「モンシロチョウ?」


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カリガネソウ(雁草)…別名「帆掛草」


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カリガネソウ…美しい花ですが独特の臭気があります


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キンミズヒキ(金水引)


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ダイコンソウ(大根草)…根生葉が大根に似ています


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ワレモコウ(吾亦紅)


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ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)

…了…





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2015年7月23日(木)・一昨日友人から"テレビニュースで、神代植物公園のショクダイオオコンニャクが、7年ぶりに開花したと言っていましたよ…"とのメールを戴きました。早速ネット検索したら、開花が確実となった小石川植物園のショクダイオオコンニャクを、過去に栽培・開花実績のある神代植物公園で預かり、バラ園テラス内で7月26日まで展示中とありました(神代植物園の温室は、只今改築工事中です)

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バラ園奥のテラスに多くの人が集っています


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暑い最中、夏薔薇も沢山咲いています


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ショクダイオオコンニャクは世界一大きな花と言われています


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7月23日AM11:30 頃のショクダイオオコンニャク

ショクダイオオコンニャク(燭台大蒟蒻)…インドネシア・スマトラ島原産のサトイモ科コンニャク属の植物で、別名を「スマトラオオコンニャク」とも言われます。世界最大級の花を数年に一度咲かせる植物として知られ、大きいものでは高さ3mを超えます。その名のごとく、燭台のような花を開花させ、その花は開花してから2日間しか持ちません。花は肉が腐ったような強烈な悪臭を放つことから死体花、またその大きさからお化け花と呼ばれることがあります。国内での開花は非常にまれで、当園のほか、小石川植物園、フラワーパークかごしま、はままつフラワーパーク、筑波実験植物園など10例程しかないそうです(神代植物園のホームページより)

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私が見た花は、前日開花して閉じてしまった花で、もう開くことはないそうです


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全開したときの花、仏炎苞が全開しています…写真はネットから戴きました

ショクダイオオコンニャクが開花したのは21日(火)23:00時、仏炎苞が直径約1mに全開しました!匂いも強烈で、近づくことも憚られます。これから匂いも徐々に薄れ明日1日かけて閉じていくと思われます。闇夜に浮かぶ神々しい姿です…(神代植物公園・園長の取れたて情報より)…この後25日に花は力を失い折れたそうです。

私が見た花は閉じてしまった花で、虫を呼び寄せるための強烈な悪臭もありませんでした。今まで私は、世界一大きな花はマレー半島に分布する「ラフレシア」だと思っていました。詳しい知識はないのですが、どちらの大きな花にも言えることは、花粉を運んでくれる"ハエ"を誘引するために、花は腐臭を発すると言うことです。


バラ園からムクゲ園へ…この暑さの中、ムクゲの花が美しく涼しげに咲いていました。それぞれの木には、名を記した看板がありましたので記します。

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コンテ・ド・エイモン…ヨーロッパで改良されたものです

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ドクター・ウエモト

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ピコロル

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ラージホワイト

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ルーシー

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角倉花笠

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紫盃

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耳原花笠

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宗旦…夏の茶花として有名な品種だそうです

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赤祇園守

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早川白

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大仙祇園守

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大徳寺祇園守

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大徳寺白…京都大徳寺産です

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白一重

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白花笠

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平家山

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雉鳩


…神代植物園~多様性センター~調布野草園の花へと続きます…




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2015年7月20日(月)・都立薬用植物園は我が家から一番近い植物園です。それに野火止用水路沿いの緑道路は、雑木林の中を通ることが多く涼しく感じます。
この植物園はどの季節に訪れても、何らかの花が咲いていて楽しませてくれます。

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アメリカホドイモ…明治中期に渡来、ネイティブアメリカンは根茎を食用にしました


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ウマノスズクサ(馬の鈴草)…この葉が食草のジャコウアゲハが産卵していました


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エンビセンノウ(燕尾仙翁)…絶滅危惧種に指定されています


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オクナセラルタ…オクナキルキーと共に「ミッキーマウスの木」と言われます


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カリガネソウ(雁草)…花は美しいですが、独特の臭いがあります


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カワミドリ(川緑)…生薬の藿香(かっこう)で、解熱鎮痛作用があります


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クルマバナ(車花)…花が車軸状につくのが名の由来です


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コオニユリ(小鬼百合)


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コガネバナ(黄金花)…根を乾燥したものは生薬「黄芩・おうごん」となります


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ゴマ(胡麻)


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センニンソウ(仙人草)


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チョウマメ(蝶豆)


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トケイソウ(時計草)…パッションフラワーとも呼ばれます


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ニンジンボク(人参木)


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ハマナス実(浜茄子実)…故郷では実をネックレスのように繋げて盆棚に飾ります


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ヒメヤブラン(姫薮蘭)


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ヒヨドリジョウゴ(鵯上戸)


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タチフウロ(立風露)


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ベラドンナ…ナス科オオカミナスビ属の草本で、暗紫色の実がなります

ベラドンナ…ナス科の毒草で和名は「オオカミナスビ」「セイヨウハシリドコロ」と呼ばれます。ヨーロッパでは「魔女の草」とも呼ばれていたそうです。ベラドンナ(Bella Donna)とはイタリア語で"美しい淑女"の意味です。ルネッサンス期のベネチアなどの婦人達は、目を大きく美しく見せる為に、瞳孔を拡大する散瞳作用があるこの実のエキス(アストロビン)を用い、その結果、副作用で失明したり死に至ったりする人がいたそうです。現在でも眼科医は目を検査する際、瞳孔を開くのに硫酸アストロピンの点眼薬を使用しています。植物園には、この植物に触ったら手を洗ってくださいとの注意書きがあります。花は同じ毒草で日本に自生するハシリドコロに似ています。

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マツムシソウ(松虫草)


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マネキグサ(招草)…蟻が花の中に入っています

マネキグサ…シソ科で茎の断面は四角で、暗紅紫色の花弁は白く縁どられます。別名は「ヤマキセワタ」。和名は花を"招き猫"の手に見立てたとされます。


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ヤナギタンポポ(柳蒲公英)


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ヨロイグサ(鎧草)…生薬「ビャクシ(白芷)」…解熱鎮痛作用があります


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ルコウソウ(縷紅草)…熱帯アメリカ原産で江戸期に渡来しました


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レンゲショウマ(蓮華升麻)…鉢植





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2015年7月15日(水)・菩提寺も霊園も鎌倉材木座に在りますが、寺前のJR横須賀線・名越踏切を鎌倉駅方向に渡った鎌倉市大町から小町にかけては、日蓮聖人が松葉ヶ谷の草庵から小町大路の街角に立ち、毎日道行く人々に辻説法を説いた処で、日蓮所縁の古刹が数多くあります。観光客にはあまり知られぬ静かな処です。

安国論寺

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安国論寺・山門

この寺院は長勝寺や妙法寺と同様に、日蓮が鎌倉で布教する際の拠点となった御草庵跡とされています。又日蓮が、時の執権・北条時頼に提出した文書「立正安国論」を執筆した処とも言われます。そして熱心な法華経信者だった実業家の、元経団連会長でもある土光敏夫氏の菩提寺でもあり、墓所でもあります。

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山門から望む参道


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正岡子規の歌碑…平成23年建立

「鎌倉の松葉が谷の道の辺に法を説きたる日蓮大菩薩」…子規は生涯に2度鎌倉を訪れており、この寺院にも足を運んだとされ、この歌はこの辺りのことを詠んだ歌と言われます。鎌倉では初めての子規の歌碑だそうです。

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手水舎…苔生し摩耗した石仏に供えられたガクアジサイが、清らかです


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安国論寺・本堂…本堂前の花海棠は鎌倉一の古木で、花時には賑わいます


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安国論寺・御小庵


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安国論寺境内の石仏とギボウシの花


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仏足跡…お釈迦様は偶像を禁じましたから、昔は仏足跡が祈りの対象でした


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境内・多宝塔


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境内・石灯籠…趣のある燈籠で綾部型に似ています


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静かな参道…お休み処もあります

安国論寺を後に、すぐ近くにある妙法寺に立ち寄りました

妙法寺

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妙法寺・御草庵跡

何度も訪れている妙法寺ですが、何時からか"土日祭日のみ境内公開"になっていて、今回は境内奥には入れませんでした。ここ妙法寺も日蓮聖人の御草庵跡と言われ、又中興開山は日叡(にちえい)上人です。日叡上人は、足利尊氏との政争に破れ、鎌倉宮の土牢に幽閉され後に殺害された後醍醐天皇の御子・護良親王と、その身の回りのお世話をした藤原保藤の娘・南方との間に、親王の殺害された後に生まれました。日叡は日蓮を偲び、かつ父・護良親王の菩提を弔うためにこの地に堂宇伽藍を建てました。小高い丘の上には護良親王の墓や南方の墓もあります。

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妙法寺も花の寺として有名ですが、道奥は通せんぼされています


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庭園奥にある有名な苔の石段です…写真はネットから戴きました


安養院

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安養院・山門…ここは北条政子所縁の寺で、ツツジの寺としても有名です

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安養院・北条政子像…写真はネットから頂きました

北条政子像は、数年前に一度拝観しました。明治から大正期にかけて製作された像だそうで、新しい若々しい政子像でした。安養院は政子の法号から取られたものです。門前から通り道にかけてのオオムラサキツツジの花時は、見事な景観です。

バス道を大町四つ角で右折し小町大路を歩きます。若宮大路は武士の道でしたが、ここ小町大路は当時から庶民の道でした。滑川に架かる夷堂橋を渡ります。


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夷堂橋から見た滑川上流

本覚寺

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本覚寺・山門…右手の白い屋根が夷堂です

本覚寺は日蓮宗の由緒寺院であり、夷堂は1274年に佐渡配流から帰った日蓮がこの堂に一時滞在し、辻説法などの拠点としていた処です。山門は三浦半島の寺院からの移築で江戸期の創建だそうです。本堂は修復中の幕で覆われていました。

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境内のハスはまだ蕾でした


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日蓮分骨堂…身延山久遠寺の日蓮の遺骨を分骨し「東身延」とも言われます

炎天下の散策はやはり疲れます、近道をして駅へと向かいました

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おんめ様・大巧寺境内は、小町大路と若宮大路の通り抜け道として利用されます

小町通りで遅めのビールとランチ…午後2時過ぎの湘南新宿ラインで帰宅しました

…了…




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2015年7月15日(水)・東京のお盆は7月です…去年は鎌倉の菩提寺のお盆に合わせて8月にお墓参りをしましたが、丘の上の墓地はジリジリと暑くて堪らなく、やはり7月にお参りしましょうと出かけました。にもかかわらず、7月の鎌倉も暑かったです。
墓参後の散策は、菩提寺から歩いてノウゼンカズラの咲く妙本寺に向かいました。

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妙本寺・総門

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ここは嘗て比企一族が住んでいた谷戸で、比企谷(ひきがやつ)と呼ばれています


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妙本寺・二天門…持国天と多聞天を安置しています

深い杉木立の覆う比企谷の参道を抜け石段を登りきると、目の前に渋い赤色の弁柄塗りの門が現れ、山門に架かる楓の緑と相まって息をのむほどの美しさです。

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二天門内から望む祖師堂とノウゼンカズラ


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ノウゼンカズラと祖師堂

妙本寺のノウゼンカズラは有名で、木の下や周りにはカメラを持った人達で賑い、なかなかシャッターチャンスがありません。じっくりと人影の消える一瞬を待ちました。

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このノウゼンカズラは梅の木に巻き付いているのだそうです


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境内内側からの二天門とノウゼンカズラ


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棚仕立てのノウゼンカズラ

二本のノウゼンカズラの木があり、どちらも見頃の花時でした

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ノウゼンカズラ(凌霄花)…ノウゼンカズラ科の落葉性の蔓性木本です。中国原産で、平安時代には渡来していたと言われます。漢名は「天を凌ぐほど高く登る花」という意味だそうです…朱色の漏斗状の花が風に揺れる様は風情があります。

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妙本寺・祖師堂

妙本寺は正式には長興山妙本寺、創建は1260年で、日蓮聖人開山の日蓮宗最古の名刹です。開基は比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた比企大学三郎能本…滅ぼされた比企一族唯一の生き残りです。鎌倉で法華経を命がけで布教する日蓮聖人に帰依した能本は、比企谷の地に法華堂を建立し日蓮聖人に献呈しました。

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一幡之君袖塚

比企一族の悲劇…比企の尼は源頼朝の乳母で比企能員(よしかず)の叔母、養母です。頼朝が20年もの間、伊豆に流謫の生活を送っていた時に、その生活の費用を送り続け護ってくれた恩人です。天下を取り鎌倉に幕府を開いた頼朝は、頼朝の右腕でもある比企能員一族に鎌倉でも屈指の比企谷に館を与え、政子が身籠るとこの比企谷が産所に選ばれました。生まれた嫡男・頼家の乳母は比企能員の妻が務め、長じては能員の娘の若狭の局を妻とし、一幡という男の子が生まれました。

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比企一族の墓所

頼朝が亡くなり18歳の頼家が二代将軍を継ぎ、後ろ楯としての比企氏の勢力は一層強まり、政子の実家の北条氏との対立が益々深まりました。1203年、頼家が急病にかかり危篤状態に陥ったのをきっかけに、北条時政は比企能員を自分の館に誘いだして殺し、比企の館に火を放って一族全員を滅ぼしました(比企の乱)。ところが死ぬと思っていた頼家は生き返り、妻も子供も殺されてしまった事実を知り怒り、病後の身ながら家来を集め北条氏を討とうとしますが失敗、出家させられ、伊豆修善寺に幽閉、その挙句に実朝を担ぐ北条氏の手兵に殺されました。比企一族の中では、まだ幼少で京都にいた比企大学三郎能本だけが、唯一生き残りました。


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境内の日蓮聖人像


ここ比企谷にはもう一つの悲劇の物語があります。

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源よし子の墓

竹の御所と呼ばれた女性(12021234)の名前は源鞠子、またはよし子(よしの字は女へんに美…パソコン変換できません)…鎌倉幕府第二代将軍源頼家の娘で、比企の乱で亡くなった幼い一幡や、実朝を暗殺した公暁とは同じく頼家を父とします。父の頼家、叔父の実朝、祖母の政子の死去後、鎌倉幕府の「家刀自」、つまり実質的な後継者となり、唯一頼朝の血筋を引く竹の御所は幕府権威の象徴として、御家人の尊敬を集めました。住まいはここ比企谷に在ったと言われています。

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1230年、第4代将軍藤原頼経に嫁ぎ4年後に身籠り、頼朝の血を引く将軍後継者誕生の期待を抱かせますが、難産の末男児を死産、竹の御所本人も33歳で死去し、源頼朝の血筋は完全に断絶しました。このお墓のある場所は竹の御所跡と言われています。この話は杉本苑子著の小説「竹の御所鞠子」になっています。

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炎天下にもかかわらず、まだ美しい紫陽花の花です

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二天門前の景色…深い森の様子がよく解ります

…鎌倉散策②に続きます…




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