きよかぜ便り

60の手習いで覚えたパソコンとカメラで楽しんでいます

2015年09月



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2015年9月27日(日)・材木座霊園から観音寺ヶ谷や弁ヶ谷の小道を下り、光明寺前に出ました。すぐ目の前が材木座海岸です…海からの風は磯の香がします。

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光明寺・総門…門前のソテツ(蘇鉄)の古木が目を引きます


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光明寺・山門…五間三戸二重門で、鶴岡八幡宮から移築された1847年頃の建造物


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光明寺・本堂

光明寺は天照山蓮華院光明寺と言い、浄土宗の大本山で、創建は1243年と伝えられます。開基は北条経時、開山は浄土宗三祖・良忠上人、歴代執権の帰依をうけ、七堂伽藍を整え、関東に於ける念仏道場の中心となり、後土御門天皇より「関東総本山」の称号を受けました。江戸時代には「関東十八檀林」の筆頭となりました。檀林とは徳川幕府が定めた学問所の事です。山門の扁額は後花園天皇御宸筆です。


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本堂の鰐口(わにぐち)


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本堂鰐口と山門…気に入りの私の撮影スポットです


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三尊五祖の石庭(パノラマ合成…拡大できます)


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大聖閣と記主庭園…浄土宗庭園です…枯れたハス池にも情緒があります


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庭園と大聖閣…左手は開山堂です(パノラマ合成…拡大できます)


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去年1月に友人達と精進料理を頂きました…真ん中の花頭窓のお部屋でした


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多くの五輪塔が並びます…材木座海岸に祀られていたものでしょうか?


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善導大師像…中国唐代の高僧で、法然上人が帰依し浄土宗を開きました


光明寺山門前は材木座海岸…海岸の少し小坪寄りに「和賀江島の碑」があります

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「国指定史跡・和賀江島」の碑…鎌倉時代に作られた国内最古の築港遺跡です


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材木座海岸の全景(パノラマ合成)…セーリングの小さなヨットが一杯です


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中央の石の築島が「和賀江島」です…漁船が逗留しています


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江の島・稲村ケ崎が見えます


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逗子マリーナ

材木座海岸を歩いて光明寺前に戻り、バスには乗らず歩いて駅に向かいました

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九品寺・山門


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九品寺・本堂

この地は新田義貞の1333年の鎌倉攻めの際に本陣を構えた処とされます。鎌倉幕府滅亡後の1336年に、北条方の戦死者を弔うために本陣跡地に建立されました。

大町四つ角から小町大路を歩きました…ここは日蓮上人が辻説法を行った道です

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日蓮上人辻説法跡


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ここは「日蓮主義者」として有名な宗教家・田中智学氏により整備されました

小町大路から駅へ、午後2時過ぎの湘南新宿ラインで帰宅しました。

…了…





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2015年9月27日(日)・色々なアクシデントや用事が重なり、お彼岸中のお墓参りには行かれませんでした。どんよりの空模様ですが午後からは晴れの予報です、住む街の駅から"元町中華街行"の電車に乗り、横浜で横須賀線に乗り換えて、鎌倉へ出掛けました。まずは菩提寺の本堂にお参りし、お祖師様にも手を合わせました。

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長勝寺・山門


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長勝寺本堂と日蓮辻説法像

日蓮は鎌倉で布教し他の宗教を激しく糾弾した為、幕府に捉えられて伊豆に流刑となりました。1263年に赦免となり、この地の領主だった石井長勝が日蓮の為に邸内に小庵を建てました。寺は後に本國寺となり、本圀寺が京都に移転した後、1345年日静上人が復興、石井長勝の名から石井山長勝寺としたと、寺には伝わります。


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日蓮辻説法像…高村光雲作で、嘗て洗足池畔に在りました


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大きなタイサンボクの下の六地蔵様


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「赤木圭一郎之像」

赤木圭一郎は東京生まれですが鎌倉に疎開、鎌倉高校卒業後成城大学在学中に日活のアクション俳優として活躍し、トニーの愛称で親しまれました。小林旭、石原裕次郎に続く「第三の男」と呼ばれ期待されましたが、昭和36年に日活撮影所内でゴーカートを運転中に鉄扉に激突し、21歳の若さで亡くなりました。「和製ジェーム・ディーン」とも呼ばれます。嘗ては材木座霊園にお墓がありましたが、如何なる理由なのか、お骨は他の土地の霊園に移されたそうです。丘の上に慰霊碑があります。

霊園へは緩やかな道を選んで登りました

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松葉ヶ谷ご草庵跡と日蓮像…以前は庵主様がお住まいでしたが、今は無住です


ここのところ嫌なことが重なりました…お墓を浄めて、注文してあった花束やお線香をお供えすると、心がすっきりし軽くなりました。空にはトンビが輪を描いています。

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墓地からの景色…すぐ下が横須賀線、山々の谷間を埋め尽くす鎌倉市大町周辺


生憎の曇り空ですが、材木座霊園の丘の上からの景色は美しいです

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由比ガ浜海岸と稲村ケ崎…何時もはこの中央に富士山が聳えます


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材木座海岸と中央の「和賀江島」…丘の下には光明寺があります


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赤木圭一郎の碑…正面に富士山が見える位置に建立されています

今日のお参り後の散策は、材木座霊園からの小道を降りて光明寺・材木座海岸へ行くことにしました。車で来ていた頃は、車は置いてこの山道を往復しました。

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家と家との狭い隙間が道です…知らない人には解らない隠れ道です


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人一人がやっと通れる小道を降ります


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古いガイドブックには、この辺りを"観音寺ヶ谷"と記していますが…


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急な坂道です…ここからは海が見渡せます

下へ降りると瀟洒なお屋敷の家並みが続き、静かな住宅地となります

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嘗ては別荘地だった所…今は大企業の寮や保養地にもなっているようです

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素敵な門構えの邸宅が多いです


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弁ヶ谷の碑…北条高時が創建した金剛山 崇寿寺があった処と記されています


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豆腐川…小さな流れは材木座海岸に注ぎこみます


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キバナコスモスとツマグロヒョウモン♀


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ホトトギス(杜鵑)


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ヒロハノタイワンホトトギス(広葉の台湾杜鵑)


…鎌倉散策②に続きます」…







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2015年9月22日(火)・しばし花や蝶の撮影に夢中になっていましたが、それらに全く関心のない夫の"飽き々"している様子が、手に取るように解ってきました…そろそろ引き上げる潮時です…やはり同じ趣味の仲間とでないと楽しめません。

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ボントクタデ…蓼酢に使う「ヤナギタデ」に似ますが、辛みがなく役に立ちません


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ママコノシリヌグイ…可哀想な名です、やはり牧野博士命名との事です


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ヤブツルアズキ(藪蔓小豆)…小豆の原種と言われ、莢の黒い実は食用になります


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ヤマハッカ(山薄荷)…ハッカの名はありますが、余りは香りはしません


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ヤマホトトギス(山杜鵑)…花被片が反り返るのが特徴です


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レモンエゴマ(檸檬荏胡麻)…日本在来種で、葉に触れるとレモンの香がします

何種類もの蝶に出会いましたが、動く被写体を捉えるのは難しいです

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アオスジアゲハ…フジバカマに止まっていましたが、直ぐに飛び去りました


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アカボシゴマダラ夏型…外国から持ち込まれた"要注意外来生物"だそうです


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ミドリヒョウモン♀?…だいぶ翅が痛んでいます、蝶の季節もそろそろ終わります

自然観察園を後に、来た道とは反対側の野川沿いの道を歩いて駅に向かいました

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何時もより水量の多い野川です…親子で川遊びをする姿が微笑ましいです


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奥の森の下が「はけの道」…行きに通ってきた道です

川沿いの道にも野草が咲いています

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アレチウリ(荒れ地瓜)…猛威をふるって繁殖し、特定外来生物に指定されています


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オオニシキソウ(大錦草)


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ムラサキエノコログサ(紫狗尾草)

武蔵野公園の野川の畔はコスモスの小道になります…今年は開花が遅いようです

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コスモスが咲き盛ると、コスモスの花の中に埋もれて青空を眺めるのが好きです


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ある一人の方が、ボランテァでお花を育て咲かせています…お話したことがあります


小金井街道と野川が交差する辺りに、史跡「金井原古戦場跡」の石碑があります

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「金井原古戦場跡」の碑

1352年、南朝方の新田義貞の遺児の義宗・義興兄弟等が宗義親王を奉じて挙兵し、武蔵野を舞台に北朝方の足利尊氏と戦った武蔵野合戦が、この周辺で繰り広げられました。20万騎に及ぶ両軍が、人見原(府中・浅間山付近)から金井原(小金井市)にかけて戦った"つわものどもの夢の跡"の碑です。

国分寺崖線の前原坂を上り、武蔵小金井駅のバス停からバスに乗り帰宅しました。




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2015年9月22日(火)・野川公園自然観察園には彼岸花の他にも色々な山野草が咲いています。自転車で野川をサイクリングしていて偶然見つけた自然観察園は、私の花探しの原点で、月初めの「観察会」に何度も出席して、花の名を覚えました。

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アカネ(茜)…蔓性植物で、根は茜染めの染料となります


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アキノノゲシ(秋の野芥子)


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イヌコウジュ(犬香需)


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イヌショウマ(犬升麻)…花柄のないのが、サラシナショウマとの違いです


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カラスノゴマ(烏の胡麻)…シナノキ科で秋には全草紅葉、それもまた風情ありです


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キツネノマゴ(狐の孫)…野草の名は面白いです…やはり牧野博士命名でした


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シロバナキツネノマゴ(白花狐の孫)…初めて見た白花種です


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キバナアキギリ(黄花秋桐)…学名は「サルビア・ニッポニカ」…日本のサルビアです


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サクラタデ(桜蓼)…タデ科の花の中では一番美しいと言われます


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シモバシラ(霜柱)…シソ科の日本固有種、花後の枯れた茎元に霜柱が出来ます


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シュウカイドウ(秋海棠)…ベゴニアの一種で原産地は中国、江戸初期に渡来


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シュウカイドウ…雌雄同株で、よく観察するとその違いが分かります(写真は雄花)


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コシロシキブ(小白式部)…別名「シロミノコムラサキ」、コムラサキの白花種です


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センダングサ(栴檀草)…黄色の舌状花がないこともあり、実は"ひっつき虫"に…


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ナンバンキセル(南蛮煙管)

ナンバンキセルはススキやミョウガなどに寄生する寄生植物で、葉緑素を持たず自らは光合成が出来ません。古名を「思い草」と言い、万葉集にも「道の辺の尾花が下の思い草 今さらになど物か思わん」と詠まれています。

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ヒガンバナ(彼岸花)・白花種


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ヒヨドリジョウゴ(鵯上戸)…花探しをして最初に好きになった花で、魅力があります


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ヒヨドリジョウゴの実…この季節は花と実が同時にみられます


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フジバカマ(藤袴)…沢山のチョウやセセリが群れていましたが、逃げられました


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フジバカマ…秋の七草の一つで、淡紅紫色の管状花が日本的で芳香があります


…②に続きます…





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2015年9月22日(火)・予てから夫が"はけの道を通って野川公園に行って見たい"と言っていましたので、一緒にバスで出掛けました。住む家の前のバス停から、バスに乗り45分程小金井街道を南へ、終点の武蔵小金井駅で降ります。まずは小金井街道の前原坂上付近にある「六地蔵の恵み黄金の水」に立ち寄りました。

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1707年建立の「六地蔵尊」と、その手前に掘られた「六地蔵の恵み黄金井の水」

小金井市の地名は、貫井神社の湧水が「黄金井・こがねい」と呼ばれたのが語源となっているように、地形上国分寺崖線の「ハケ」からの湧水豊富な街です。この地下水を商店街活性化に活用しようということになり、深さ100mの深井戸を掘り2006年に完成 、この天然水は市民公募で「六地蔵の恵み黄金の水」と命名されました。

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プッシュ式の蛇口を押すとコップ1杯分の水は無料で出てきます…美味しかったです

小金井街道前原坂の途中から道を左に折れます

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妙貫坂…国分寺崖線の地形が良く解る坂道です…坂下の左手に金蔵院があります


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金蔵院…真言宗豊山派の寺院です


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山門内の白花萩…白花萩は戦後に植えられたそうです


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境内の参道は白花萩で埋まり、誰云うこともなく「萩寺」として親しまれています

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シロバナハギ(白花萩)はマメ科ハギ属で、ミヤギノハギの変種だそうです

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ふつう「シロハギ・白萩」とも呼称され、清楚で美しい花です

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境内の弘法大師修行像

国分寺崖線崖下に位置する金蔵院前の「ハケの道」を歩きました

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はけの道果樹園…無農薬のキウイフルーツを栽培、毎年11月23日に販売されます


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小金井市立・はけの森美術館…11月2日まで展示替えの為、休館中です

はけの森美術館は、大正から昭和にかけて近代洋画壇の重鎮として活躍した画家・中村研一氏の旧宅跡に建てられた美術館です。裏の「美術の森」は自由に出入りできます。又ここは大岡昇平の小説「武蔵野夫人」のモデル地になりました。

美術の森
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"美術の森"内の幾何学模様の石畳


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旧中村研一邸…現在は小嶋ルミ氏の「オーブン・ミトンのカフェ」になっています


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竹林の石段を上ると、三鷹通りです


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湧水地…この水も野川の源流の一つです


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はけの小道…旧中村邸の湧水が道を渡り南へと流れ、野川に合流します

美術の森からはけの道へ…近くに大岡昇平が寄寓した家の門があります

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大岡昇平が寄寓した旧富永次郎宅…門だけが残っています


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旧富永邸脇の「ムジナ坂」…この坂道も小説「武蔵野夫人」に描かれています

はけの道を反れて野川沿いの道を歩きました

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武蔵野公園のバーベキュー広場が賑やかでした

武蔵野公園から西武多摩川線の高架線を潜ると、そこからは野川公園になります。
フェンスの外からも一面の赤い彼岸花が咲いているのが見えます…満開です。

野川公園自然観察園
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赤い絨毯の様に咲く一面の彼岸花…見頃の新鮮な花ばかりです


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数枚の写真をパノラマ合成してみました


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ヒガンバナ(彼岸花)は別名「マンジュシャゲ・曼珠沙華」とも呼ばれ、これは梵語で「赤い花」を意味するそうです。開花終了後、晩秋にロゼット状の細い葉を出します。

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全草有毒ですが、有毒成分のリコリンは水溶性で、鱗茎を叩いて長時間水に曝せば無害となり、でんぷん質の豊かな食糧となるそうです。戦時や非常時には救荒食物として栽培されたとの事、数年前に訪れた日高市・巾着田の案内板で知りました。

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ヒガンバナの密を吸う「キアゲハ?」


…9月の野川公園の花①に続きます…


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