きよかぜ便り

60の手習いで覚えたパソコンとカメラで楽しんでいます

2016年01月


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目白庭園表門(長屋門)…豊島区目白3丁目

2016年1月16日(土)・自由学園・明日館を出て目白庭園へ向かいました…同じく自称"方向音痴"と仰る友人ですが、私よりは遥かに軽度に見えたので友人について歩き、西武池袋線の踏切を越えたら目白庭園の白い築地塀が見えてきました。

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目白庭園・赤鳥庵

目白庭園は約860坪、平成2年建設の回遊式日本庭園です。「赤鳥庵」 は京都の北山杉を用いた木造瓦葺き平屋建ての数寄屋建築で、名の由来は、大正7年に鈴木三重吉によってこの地で創刊された子供の為の文芸雑誌「赤い鳥」に因みます。

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赤鳥庵…「せきちょうあん」と読むのだそうです


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赤鳥庵前にひっそり一輪咲いていた"タイワンホトトギス"


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さほど広くはない庭園ですが、雪吊や十三重の塔が池に映りこみます


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遠くにはビルが…都会のオアシスです


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滝や石組もあり、自然情緒たっぷりです


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石の十三重塔手前には、木瓜の花と万両の実が…


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ボケ(木瓜)


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紅梅…蕊の長い美しい紅梅が満開でした


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赤鳥庵は、茶会・華道・句会などの趣味の集まりや発表会に利用されています


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水も澄み、水底の青い藻の緑も美しく見えました

次の目的地"徳川ビレッジ"を目指しましたが見つからず、遊園地で子供と遊んでいた人にも尋ねましたが、らちが明きません…友人は数年前に一度訪ねたことががあるそうです…"この景色に見覚えがあります"との、友人の声に助けられました。

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門柱に徳川の表札がありました

徳川ビレッジは、尾張徳川家・徳川義親侯爵の本邸敷地内に作られ、目白を高級住宅地にする理由ともなりました。約7000坪の敷地内に、庭と駐車場、メイドルームなどを備えた外人専用の優雅な33邸が建立しています。ビレッジ内は道幅も広く、桜や樹木も大木が多く、案内板も全て横文字、日本とは異なる情緒のお屋敷町です。海外の大使館員や名だたる大企業の家族が多く居住しているビレッジだそうです。

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エリート外国人専用の高級賃貸住宅街…車庫の車は外交官ナンバーでした


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徳川ドーミトリー…徳川ビレッジ内にある高級な、お嬢様専用の女子学生寮です

目白の高級住宅地を後に、完全に方向感覚を失った私は友人を頼りに歩き、目白通りに出ました…昼1時を過ぎお腹も空いています…ランチのレストランを探しました

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目白駅近くのレストランで、ゆっくりとランチにしました

お腹いっぱい食べたので少し歩きましょうか…目白通りに出て私の方向感覚も戻り、以前の住まいから何度も通った事のある「おとめ山公園」へ行くことにしました。

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目白通り脇にある「子安地蔵尊」…ここを左折するとおとめ山公園への近道です


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おとめ山公園は目白台地から落合川や神田川への傾斜地に在り、「御留山」又は「御禁止山」の意味で、江戸時代この一帯が徳川将軍家の狩猟地だったことによります。大正期には相馬家の広大な庭園をもつ屋敷でしたが後に売却、「落合秘境」と呼ばれていた森林の喪失を憂えた地元住民の保存運動が起り一部公園に…その後「区民ふれあいの森」として拡張整備され、平成26年に全面開園しました。

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相馬家のお屋敷のあった場所には、芝生広場と遊具があります


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大正2年(1913)の相馬家のお屋敷…今も傍らの坂道を"相馬坂"と呼んでいます
(写真はネットから戴きました)

芝生斜面を下りると湧水の池があります

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都心にありながら「東京の名湧水57選」に選ばれています

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嘗ては蛍で有名な処、"落合蛍"復活活動がなされ、ホタル観賞会も開かれます

私がおとめ山公園に頻繁に出かけていたのは2008年頃です…それから整備拡張されて、私の知らないゾーンが沢山出来ました。樹木も多く野鳥の宝庫なのですが、時刻が4時を過ぎて低地は暗闇が迫り小鳥の囀りもありません…園内を小回りしただけで目白通りに戻り、丁度練馬駅行きのバスが来ましたので帰路につきました。

…了…






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自由学園・明日館の模型…二階のミニミュージアムに展示

2016年1月16日(土)・以前にはパソコンを教えて戴いているY先生が、数日前には友人のA様が、自由学園・明日(みょうにち)館と目白庭園のブログアップをなさっていました。私も是非行って見たいと思っていた処でした…丁度修理に出していたカメラが仕上がり、池袋に受け取りに行かねばならなくなりました…そのことを友人にメールしたら同行したいとのお返事…ご一緒の散策をすることにしました。

修理したばかりのカメラにバッテリーとSDカードを入れ、試し撮りしながら歩きました

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池袋駅東口「いけふくろう像」…待ち合わせ場所として何時も賑わっています

池袋駅西口メトロポリタン側に出ましたが、方向音痴の私は地図も役に立たず八方ふさがり…友人とあっちこっちと迷いながら、何とか目的地に辿り着きました。

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住宅地のお庭に咲くブーゲンビリア…真冬なのに花盛りです…暖冬のせい?


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自由学園・明日館

自由学園は羽仁吉一・もと子夫妻により大正10年(1921)に女学校として創立されました。明日館はその自由学園誕生の校舎で、設立時の校舎は、20世紀を代表する世界的建築家であるフランク・ロイド・ライトとその高弟・遠藤新の設計によるものです。ライトは羽仁夫妻の教育理念に共感し設計を快諾しました(パンフレットより)

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明日館全体をパノラマ撮影しました…拡大できます

明日館は平成9年(1997年)国の重要文化財の指定を受け、その後保存修理工事を行ない、修復された後は広く一般に利用され、「動態保存」の成功例とされます。

入館前に庭園を一巡りしました

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ヒメリュウキンカ…ヨーロッパ原産で別名「オウシュウキンポウゲ」とも言われます


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ヒイラギナンテン(柊南天)


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陽を受けて冬薔薇が美しく咲いています


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冬薔薇

明日(みょうにち)館内を一巡りしました

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婦人之友社・羽仁先生記念展示室

明治36年(1903)に羽仁夫妻が「婦人之友」の前身「家庭之友」を創刊しました

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可愛いデザインの椅子…見た目よりも座り心地が良く、背筋が伸びる感じでした


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婦人之友…女性誌の草分け的存在で、母娘代々読み継がれています


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東棟教室


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玄関でしょうか?…お庭に面しています


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玄関に飾らfれていた生花…ロウバイ・アズキヤナギ・ラナンキュラス・和欄などなど


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中二階にあるダイニング

このダイニングでは春夏秋冬年4回、「明日館レストラン」が開催されます。事前申し込み抽選制で、162食限定です。「明日館レストラン・冬」は2月7日に開催されます。


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大谷石のマントルピース


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小食堂


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照明はライト自身が設計したそうです…空間の意匠と調和が素晴らしいです


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幾何学模様の窓から、明るい光が差し込みます


二階のミニミュージアムに登りました…ライトと明日館の資料が展示されています

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旧帝国ホテル解体部材


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ライトのマリオネット…80歳過ぎのライトがモデルだそうです

自由学園・明日館を見学しての感想は、日本のまだ貧しかった時代に、定期的に婦人之友を購読したり、キリスト教精神による理想教育を自由学園で学ぶことの出来た子供達は、恵まれた階層の人々なのだとの思いでした。それにしても素晴らしい建造物でした。又「動態保存」とは、建物を使いながら保存運営することだそうです。

この後、徳川ビレッジ~目白庭園と歩きました…続きます




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2016年1月11日(月)・柳瀬川に架かる城前橋からは、高架橋になっている武蔵野線が広く眺められます。武蔵野線は元々東京外環貨物線でしたので、今では珍しい貨物列車がよく通りますが、待っているとなかなか通りません。

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柳瀬川架橋を通るJR武蔵野線…路線は、府中本町~西船橋までです


清瀬市下宿の、円通寺へ通ずる観音坂にある二本の大木の間に、村に悪い虫や病が入ってくるのを「ふせぐ」ために全長20mもある大きな藁の大蛇がかけられます

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大蛇は毎年5月3日に、地域の人々により円通寺・長屋門の下で作り替えられます

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「ふせぎ」…大きなリアルな大蛇です…餌台も下がっています

傍らの円通寺にお参りしました

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円通寺・弘法大師像と実もたわわな柿の木


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真言宗豊山派寺院の円通寺…清瀬の最古刹の寺院です

清瀬・台田の森公園にある「オオムラサキ飼育ケージ」にも…

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オオムラサキ飼育ケージ…まだ幼虫は榎の落葉の下で冬眠中です


中里富士塚にも登り、山頂の浅間神社の祠にお参りしました

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清瀬・中里富士塚…大きな鳥居の奥は高さ約10mの富士塚


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つづら折りの登山道をのぼります


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山頂の浅間神社の石祠


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中里富士塚・山頂からの眺め


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中里富士塚・火の花祭

毎年9月1日、高く積み上げた麦藁を燃やす「火の花祭り」が行われます。午後9時、白装束の講員が富士塚の頂上から、108本の蝋燭が灯るつづら折りの階段を下りお焚き上げをします。灰を間口に撒くと火災除けや魔除けになると伝わります。

この行事を毎年見たいと念じていますが未だ叶いません…同じ市内でも住まいからは遠く、去年は夫と行く予定にしていましたが、生憎の雨でした。

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欅通りにある「澄川喜一作・そりのあるかたち’90」…氏は清瀬の名誉市民です

志木通りにある神社にお参りしました…水天宮と日枝神社が並んで建立します

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水天宮…清瀬では安産の神様として信仰されています


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水天宮・社殿

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水天宮社殿前の柊の木

柊伝説…第12代・景行天皇の御代に日本武尊が東征の際、この柊の根元に憩い「清キ土ナリ」と仰せられました。以来この村を清土と称したがその後、清戸と改められました。当時の柊は枯れてその根株より「ひこばえ」を生じたのが今に至ります。

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看板にはこのことが詳しく書かれています


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紋付き袴で刀剣の奉納試合でしょうか…もちろん真剣ではありませんでした


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日枝神社…戦国時代創建で、鳥居は「山王造り京風二重鳥居」です


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日枝神社の大きな茅の輪を潜り、お参りする人が引きも切らずです

私は並ばずに遠くから遥拝しました…了…






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2016年1月11日(月)・風もなく暖かなサイクリング日和です…久し振りに清瀬の街をサイクリングしました。まずは小金井街道を北へ向かい、柳瀬川に架かる清瀬橋へ…この橋の少し上流で、柳瀬川と空堀川が合流します。

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左が空堀川・右が柳瀬川…合流して柳瀬川となり、志木市で新河岸川と合流します

空堀川の水源地は、武蔵村山市の"かたくりの湯"裏手のカタクリの里の沢です…柳瀬川の水源地は狭山湖(山口貯水池)内で、湖底には今も旧水路が残ります。

柳瀬川の岸辺は柳瀬川回廊と呼ばれる散策路になっています

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ソシンロウバイ(素心蝋梅)…まだ去年の葉が落葉していません


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白梅


金山緑地公園の岸辺に多くのカメラマンが集まり、何かを狙っています…

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私も恩恵に与ろうと金山橋を渡って此処へいきました…カワセミを待っています

岸辺にカワセミの来る止まり木があり、皆様弁当持参でカワセミの訪れを待ちます

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金山緑地公園の日本水仙の群生地…もう満開で芳しい香が漂います


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池の葦原にはシジュウカラが沢山潜んでいます…すばしこくてカメラに写りません


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柳瀬川・金山橋下流は桜の名所…花時の景色は見事です

金山橋下流の土手の左側は、金山調節池です…柳瀬川の洪水対策の池です

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金山調節池全景…パノラマ撮影しました、拡大できます

この調節池は東西約520m、南北約190m、周囲約1.1kmからなります…写真の右側を柳瀬川が流れています…ここは自然の宝庫で、野鳥や樹木も野草も、湿生植物も多く植生します…ここに自転車を止めて、カメラを持って池のぐるりを一周しました。

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池の小島にコサギとダイサギが、藪の中にはアオサギもいました


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コサギ


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ダイサギ

池の周りの柳や葦の中には多くの野鳥が潜んでいます…アオジを見つけました

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アオジ(青鵐)…雀より少し小さく緑色っぽいです…去年友人に教えてもらいました


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カシラダカ(頭高)…興奮すると頭頂部の毛が立つのが、名の由来です

この鳥は野鳥図鑑で調べても名が解らず、野鳥に詳しい友人に教わりました


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調節池にはカモが沢山飛来し浮かんでいます


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頻りに水浴びするカモ…身繕いと共に、毛の中に空気を入れるのだそうです

調節池を後に柳瀬川回廊に戻りました…ここにも大きなカメラの人たちが…

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カメラを持たない端にいる方に聞きました…カワセミですか?…いいえ、アオジです


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柳瀬川には釣り人も多くいます

調節池から左岸は埼玉県所沢市…右岸は東京都清瀬市です

囀りの美しい小鳥の群れが木に止まりました…チャンス到来とカメラを向けましたが

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エナガ(柄長)…忙しなく動くのでシャッターチャンスは難しいです


…サイクリング清瀬②に続きます…






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2016年1月9日(土)・暖かなお日和に誘われてか、園内を散策する人が増えてきました。"あそこに福寿草が一輪咲いているよ"と、カメラを提げたおじ様が情報を下さいます。私もそうです、余計な事かもと思いつつ、見知らぬ方に花情報を伝えます。

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フクジュソウ(福寿草)…土から花首だけを出して咲いています


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ヤブツバキ(藪椿)


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ソシンロウバイ(素心蝋梅)…ロウバイの変種で明治初期に渡来しました


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ソシンロウバイ…蝋細工のような光沢のある花で、芳香が辺りを酔わせます


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紅梅…中国から古代に渡来し、奈良時代までは花といえば"梅"のことでした


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紅梅…「左近の桜」も平安以前は「左近の梅」だったと言われます…ホントかな?


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ノグルミ(野胡桃)…青空に映える松毬の様な実、鬼胡桃のように食べられません


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ノリウツギ(糊空木)…天然のドライフラワーになっています


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マンリョウ(万両)


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メギ(目木)…完熟の赤い実です…鋭い棘があり「コトリトマラズ」の別名があります


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ヤブコウジ(藪柑子)…別名「十両」


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シュウメイギク(秋明菊)の実…真っ白な綿毛の中にまだ黒い種が残っています

温室の中には仏教三聖樹の一つであるムユウジュ(無憂樹)の花が咲いていました

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ムユウジュ(無憂樹)

 ムユウジュ…ブッタは、懐妊中の母マーヤーが現在のネパール国にあるルンビニーで、この花を見て右手でひと枝折ろうとした時に、右脇腹から生まれたと伝わります。インド原産でマメ科アソカ属、別名「アソカノキ」、花に見えるのは萼片です。


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ノゲシ(野芥子)…帰り道の道野辺に咲いていました



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