きよかぜ便り

60の手習いで覚えたパソコンとカメラで楽しんでいます

2016年09月



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2016年9月25日(日)…小高い河岸段丘から急な坂道を下ると柳瀬川です。

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清瀬中里地区の″火の見櫓″…今となっては珍しい景色です


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柳瀬川河岸にはコスモスの花が咲いています


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柳瀬川金山橋付近…日曜日は川遊びの家族で賑わいます

大人だけのグループも多く、まるで居酒屋…ご馳走が一杯でいい香が漂います

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金山橋から上流の眺め…大きく蛇行する川の内側は、絶好のキャンプ地です


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柳瀬川・金山橋からの下流…右岸には桜並木がず~っと続きます


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柳瀬川は、8月の台風時には増水し氾濫水域となり、住民は避難勧告となりました


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目高3m以上のところに絡まる流水物…ここまで水位があったんですね


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奥には洪水対策のための「金山調整池」があります…池から水が還流されています


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河岸の小路は、ススキならぬ″セイバンモロコシ″が勢い良く茂っています

セイバンモロコシの合間を自転車で走ることしばし…彼岸花群生地への到着です

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左手の土手の内側を柳瀬川が流れます…桜並木の両側に彼岸花が咲きます

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700mも続くという彼岸花群生地は見事で、見応えがあります

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今年は彼岸花の、盛りの美しい花を見ることが出来ました

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黄色の桜葉を受け止めた彼岸花


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桜のお花見時には人も多く、屋台も出てにぎやかですが、今はひっそりとしています

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轟音を上げて武蔵野線の電車が通ります…嘗ては貨物専用の路線でした

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シャクチリソバ(赤地利蕎麦)…彼岸花に交じって咲いています


…「金山調整池」に続きます…



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2016年9月25日(日)…清瀬にも彼岸花の名所があることを思い出し、花が見頃でありますようにと祈りつつ、中里の富士塚~柳瀬川回廊へとサイクリングしました。

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中里の富士塚は、富士登拝の風潮が盛んになった文政8年(1825年)に丸嘉講武州田無組中里講社の講徒によって、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれました。現在の富士塚は約9mの高さで、富士塚の北側に設けられた鳥居をくぐると登山道が九十九折りに続き、山頂には石製小祠と大日如来を刻んだ石碑があります(HPより)

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富士塚の前の黒い土は、火の花祭りの痕跡です

この富士塚では毎年9月1日に、山梨県富士吉田の火祭りにならって始められた
『中里の火の花祭り』が行われます。クライマックスは富士山をかたどって積み上げられた麦わらに火を付けて″お焚き上げ″がなされ、その灰を家に持ち帰って門口にまけば火災除けや魔除けになり、畑にまけば豊作になると 伝えられております。

毎年、今年こそ行って見てみたいと思うものの、市の行事ではなく講の氏子による行事なので、市役所に問い合わせても仔細が解らず、未だ行かれずにいます。

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案内板の『中里の火の花祭り』の写真

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山頂の祠と石碑


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咲いているどの彼岸花も、新鮮な美しい花でした


15枚の彼岸花の写真をスライドショーにしてみました




ここ数年、彼岸花の咲く季節には忘れないように富士塚を訪れていますが、今年のように咲いたばかりの新鮮な花にあふれた光景は初めてで、感動しました。桜花の咲く季節も、又桜花の散り敷く季節も、情感たっぷりの景観を楽しませてくれます。

…柳瀬川回廊の彼岸花に続きます…





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2016年9月24日(土)…正福寺の北側の八国山の麓は、花菖蒲の名所である北山公園です。花時ではないですが、正福寺の後には必ずここに立ち寄ります。

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八国山…菖蒲田の奥に赤い絨毯のように花が群生しています…ヒガンバナです


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ヒガンバナ(彼岸花)…別名「曼珠沙華」


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ヒガンバナ(彼岸花)…雄蕊の先の花粉が美しいです


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八国山の麓を西武西武園線が通ります


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蓮田の蓮の葉も黄変してきました…秋景色です


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蓮の果托…果実の皮は厚く、土の中で発芽能力を数千年も保持出来ます


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タマスダレ(玉簾)…別名「レインリリー」


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オオイヌタデ(大犬蓼)・白花種


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アメリカセンダングサ


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イヌガラシ(犬辛子)

休耕地が野草の原っぱになっています…野草大好きな私には絶好の観察地でした。側溝にはイボクサが群生しています…この草は水田にはびこる雑草として、農作業の厄介者で、ネット検索では″イボクサに有効な除草剤″も紹介されているほどです。でもよ~く見ると可愛い美しい花です…傍には同じように扱われる花・タカサブロウも咲いています…心ときめかせて写真を撮り続けました。

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側溝に群生するイボクサ(疣草)


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イボクサ…ツユクサ科で、名は葉の汁を付けるとイボ(疣)がとれることから…


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イボクサ…ツユクサに似た薄紫色の儚げに咲く花です


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タカサブロウ(高三郎)…最近は帰化植物のアメリカタカサブロウが多く見られます


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タカサブロウ…アメリカタカサブロウに対し「モトタカサブロウ」とも呼ばれます

タカサブロウの名の由来は①…ボクトソウ(墨斗草)と呼び、黒色の搾汁で字が書けるのでその名があり、昔、筆や墨が買えなかった貧しい高三郎という人物が、この草の茎を使って紙に文字を書いたという逸話から来ている…②…古くから目のただれを治す薬草として知られ、古名では皮膚のだだれなどをタタラビと呼び、ただれを治す草から、タタラビソウと呼ばれ、タカサブロウの名に転化したとする説…


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ダンドボロギク(段戸襤褸菊)…1933年に愛知県段戸山で初めて記録されました

この花を見るたびに思い出すエピソードがあります…パソコン教室の友人が1枚の写真を持ってきて″この花の名を教えてほしい″と言いました…花は蕾のままでず~っと咲かないそうです…″きっと夜中に咲く花に違いない″と思い、ある夜に懐中電灯をもって庭に出て、そっとこの花を観察しましたが、相変わらず蕾のままだったそうです…そうですよね…このダンドボロギクの筒状花はこれ以上花開くことはありません…友人に花の名を告げるとがっかりしていました…翌日に早速お庭の花は抜いたそうです…でも私には魅力のある花で、実の綿毛も中々美しいと思います。


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ヒロハホウキギク(広葉箒菊)?…ムラサキホウキギクかもしれません…


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花径3~4mmの小さな薄紫色の花…綺麗な清楚な野菊でした


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ミゾカクシ(溝隠し)…別名「アゼムシロ・畦筵」…水田雑草ですが今では珍しいです


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オオバコ(大葉子)…車前草とも言われ、故郷では″びっき(蛙)草″と呼びました


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北山公園・菖蒲田脇には、隣の北山小学校生がつくる田圃があり、稲穂が垂れます


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北山小学校の運動会…流れ出る曲に誘われて、しばし覗いていました

…了…





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2016年9月24日(土)…正福寺地蔵堂の後に、本堂にお参りし境内を散策しました。この季節に咲く花は少ないですが、境内には四季を通じて珍しい花が咲き、楽しませてくれます。嘗てこの庭で、卜伴椿や菩提樹、泰山木の花を愛でました。

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正福寺本堂…北条氏創建なので、屋根にも扉にも三つ鱗(北条鱗)紋があります


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貞和の板碑…都内最大の板碑で、秩父産の緑泥片岩で造られています



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十三仏


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増上寺の石灯籠…以前は地蔵堂前に4基の石灯籠が供えられていましたが…


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ギンモクセイ(銀木犀)…単に「木犀」と言う場合は、ギンモクセイを指すそうです


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ギンモクセイ…品種にはキンモクセイ・ギンモクセイ・ウスギモクセイがあります


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ギンモクセイ…白い花冠は4深裂し、芳香があります


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ダイオウショウ(大王松)…北米南東部原産で″ダイオウマツ″とも呼ばれます


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ダイオウショウ…原産地では樹高40mにもなるそうです…正月の生け花に用います


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ゴヨウマツ(五葉松)?沢山植栽されています…松毬の色が印象的でした


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スイフヨウ(酔芙蓉)


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カラスウリ(烏瓜)の青い実…うり坊(イノシシの赤ちゃん)に似た縞模様です


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カラスウリ…赤い実が植木にぶら下がっています


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彼岸花…群生することなく、あちらこちらに花咲かせています


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八坂神社…正福寺地蔵堂と並び、隣には八坂神社神輿蔵が鎮座しています

府中街道沿いにある東村山市の八坂神社…正福寺はこの八坂神社の別当寺だったそうです…大祭にはこの神輿蔵からお神輿が担ぎ出され八坂神社へ渡御、翌日は別の経路を通り正福寺脇の神輿蔵に還御します…盛大なお祭りのようです。

正福寺を後に、北側近くにある北山公園へ向かいました…道野辺の花です

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メマツヨイグサ(雌待宵草)


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マルバルコウソウ(丸葉縷紅)…蔓性で、他の植物に絡みついて咲いています


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ユウゲショウ(夕化粧)


…北山公園へ続きます…






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2016年9月24日(土)…東村山市にある正福寺地蔵堂は、1952年に国宝に指定された建造物で、鎌倉・円覚寺舎利殿と共に禅宗様建築の代表的遺構です。2009年に迎賓館が指定されるまでは、都内唯一の国宝建造物でした。地蔵堂の外観は常時見学できますが、堂内は、毎年8月8日の11時から午後3時までの施餓鬼供養、9月24日の11時から午後3時までの法要、11月3日の10時から午後4時までの文化財ウィーク・地蔵まつりの際にのみ、年3回公開されます。
 
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正福寺山門


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正福寺・地蔵堂…午前11時前に、多くの人が集っていました


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1407年建立当時のままの地蔵堂…屋根の強い反りが特徴です

北条時宗がこの地で鷹狩りを催した際疫病にかかり、夢枕に地蔵菩薩が現れ「貴公の命日数ならずこの丸薬を服用せば、立ちどころに病魔退散す」とのお告げがあり、全快したことから、飛騨の工匠を召して七堂伽藍を造営させたと伝えられています(東京都教育庁の葉書より)…寺伝では弘安元年(1278年)建立とありますが、昭和9年改修の際発見された墨書銘により、室町時代1407年の建立と判明しました。


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『国宝千体地蔵堂』の扁額



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お寺の方が入口を開け、堂内の花頭窓や蔀戸を上げて、公開準備OKです


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最前列に並び、早速ご本尊・地蔵菩薩像を拝観しました


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地蔵菩薩像の両脇には、多数の地蔵菩薩の小像が安置されています


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堂内をパノラマ撮影してみました…拡大できます


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御本尊・地蔵菩薩像…像の高さは1.2m(4尺)程、檜材による寄木造りです


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衣のお袖に朱色が残ります…左手には『如意宝珠』・右手に『錫杖』をお持ちです


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地蔵菩薩は、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救ってくださいます


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御本尊の両脇には、900余りの奉納された小地蔵尊像が安置されています


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金箔を押した漆箔仕上げの千体小地蔵尊像


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それぞれが違うお顔の、地蔵菩薩のお祈りの姿です


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素地仕上げのお地蔵様


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いいお顔のお地蔵様です


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本尊の地蔵菩薩像の真上に作られた鏡天井


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御本尊裏の天井


…正福寺本堂と境内に続きます…




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