2014年12月24日(水)・住んでいる街から南へ少し下ると黒目川が流れています。
小平霊園内の「さいかち窪」に源を発し朝霞市で新河岸川に合流する一級河川で、湧水の地である東久留米市内では清流の落合川が合流します。又黒目川の名の由来は、古代からこの辺りは″クルメ″とか″クルネ″とか呼ばれていたのに、後世の人が当て字をしたと言われています。東久留米市の名もまた然りです。
小金井街道に架かる上落馬橋から川沿いの道を、川の源へとサイクリングしました
清流の綺麗な川です…河床には水草が多く生えています
川岸で子供がパン屑を投げていました…鯉も鴨も餌を捕るのに必死です
都大橋付近…ここは大きな湧水地です…クレソンがたくさん生えています
しんやま親水広場内を流れる黒目川…ここは親水公園になっています
柳窪の「第十小」脇を流れる一筋の川…ここも黒目川の本流です
地から染み出た水が一筋の流れになり、黒目川に合流します
川の流れはありません…わずかに地下から湧き出しています
黒目川天神社前の湧水地は枯渇、黒目川本流には水が流れていません
水の流れのない川です…川向うの新青梅街道の騒音が聞こえてきます
新青梅街道の下をくぐり、水のない川は小平霊園内に入ります
都立小平霊園…総面積は650,000m²、40,000区画の大霊園です
霊園内の川筋らしき窪みと橋
梅雨時には水の流れが見られるそうです
ここの土管の前が、黒目川の最上流端です
「さいかち窪」とは、小平霊園の一角の雑木林に覆われた直径100m余りの窪地です。黒目川の地形上の源頭にあたり、通常は水のない涸れ窪ですが、雨の続いた後などには水を湛え、雨の多い年には何日も水がたまったまま沼のようになることもあると言います。最後にここが湧出したのは2008年だったそうです。
さいかち窪の雑木林…昔は″梍・サイカチ″の木でも生えていたのでしょうか
さいかち窪を後に、近くの角上魚類で買い物をしました。角上魚類は新潟県寺泊にある「魚のアメ横」に拠点を置く鮮魚専門店です。日本海の魚を食べたくなるとここに来ます。帰り道は東久留米の「下里本邑遺跡公園」に立ち寄りました。
東久留米市・下里本邑(しもさとほんむら)遺跡公園入口
下里本邑遺跡公園・黒目川の南にむかってゆるい傾斜をみせる台地と清らかな流れをもった黒目川…ここは、原始・古代の人々にとって大変住みやすい土地で、現在に至るまで約二万五千年にわたる人々の生活の場でした。最初に人が住み始めたのは今から約二万五千年前の先土器時代、その生活の跡は関東ローム層の赤土の中から発見されました。当時は今より気候が寒く、ナウマンゾウやオオツノジカの群れをおって生活する狩人の時代でした。ここからは先土器時代、縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代までの長い期間にわたる生活の跡や当時の道具が多く発見されました。(案内板より抜粋)
先土器時代の礫群…焼けた石が集まり、当時の調理場だったようです
人のいない遺跡公園ですが、太古の昔から人が住んでいたと思うと、何となく温もりを感じます。この公園脇は新小金井街道が通り、私の通い道になっています。
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